極東国際軍事裁判の証拠資料と安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書
右の質問主意書を提出する。
平成一九年五月二八日
提出者 辻元清美
衆議院議長 河野洋平殿
安倍首相は二〇〇七年三月一日に「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と発言。さらに三月五日の参議院予算委員会で「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった」と発言した。
また、辻元清美提出の「安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する質問主意書」に対し、政府は二〇〇七年三月一六日、「同日(一九九三年八月四日)の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。」と答弁した。《答弁A》
次に、通称「マゲラン事件」についての資料を提示する。
●マゲラン事件宣誓証人調書 オランダ・バタビア臨時軍法会議書類番号7868/R(極東国際軍事裁判での書類番号:PD5770/EX1725)/調書作成者: Jhr.Mr.W.A. Baud {一九四六年五月一六日}/証人:[・・・]、[・・・]の配偶者/住所:Riouwstraat 183, den Haag、二七才、無職
一九四四年一月二八日、私はムンティラン民間人抑留所にいました。その日、私は自分の宿舎の責任者であった[・・・]夫人から事務所に出頭するようにとの要請を受けました。そこにジャワ人の警視が来ていて、私を他の六人の女性と一緒に抑留所の外にあった警察へ連れて行きました。他の六人というのは[・・・]、[・・・]夫人、[・・・]夫人、[・・・]夫人、[・・・]夫人、[・・・]夫人でした。警察署には[・・・]夫人と[・・・]夫人も、三人の日本人将校と来ていました。《傍線1》この女性達は、私達の抑留所のリーダー格でした。私達七人は日本人たちの前に整列して、番号、旧姓、結婚後の姓、年令を記録されました。それから、半時間以内に荷物をまとめて出発の支度をするように言われました。私達は、たとえ終日仕事をさせられてもいいから、抑留所に残らせてもらいたいと、まず[・・・]夫人と[・・・]夫人に、それから日本人たちに頼みました。それに対しては、不可能、との返答でした。《傍線2》ただし、[・・・]夫人と[・・・]夫人は子供がいるので、残ってもいいことになりました。ジャワ人警視に連れられて抑留所へ戻り、荷物を準備してから、また警察署へ戻りました。ここで私達は三人の日本人に引き渡され、三台の自家用車でマゲランへ向かい、午後四時に到着しました。(略)
一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師たちによって健康診断を受けました。今回は少女達も含めて行われました。診断後に、私達は日本人向け娼楼行きが決まっていると聞かされました。その日の晩から仕事始めだ、ということでした。帰宅後、私達、すなわち[・・・]夫人と私は、戸や窓をぜんぶ閉めました。午後九時頃、戸や窓を叩く音がして、戸も窓も開けておかなければならず、閉めてはならないと言われました。寝室だけは戸に錠をかけて、私はそこに閉じ籠りましたが、他は言われた通りにしました。私は幾晩か、二月五日の日曜日までこの状態でいました。その日には日本軍兵卒等も抑留所へ入って来ました{以前は日本軍将校のみでした}。この兵士たちのなかの何人かが中に入って来たとき、そのうちの一人は私の部屋へ私を引きずって行きました。私がこれに対して抵抗しているところへ、憲兵が入って来ました。その憲兵は、私達は彼等の言う通りにしなければならない、もしそうしなかったら、私達の夫の住所は分かっているので、彼等に責任をとらせることになろう、と私に語りました。こう言ってから、憲兵は、その兵卒と私とだけを残して立去りました。はじめのうちは、私はなおも抵抗を続けました。しかし、私には勿論勝ち目はありませんでした。彼は衣服を私の身体からはぎ取り、私の両腕を後に捻りました。そこで私はもう手も足も出ず、彼は無理矢理に私との性交を果たしました。《傍線3》私はこの兵卒が誰であったかも、憲兵の名前も知りません。
この状態が三週間継続しました。週日には娼楼は日本人将校、日曜日の午後は日本軍下士官、日曜日の午前は兵卒等がやって来ました。日本人民間人もときには来ました。私は常に抵抗を試みましたが、どうにもなりませんでした。(略、以上)
上記資料はオランダ政府戦争犯罪調査局が作成したものであり、極東国際軍事裁判に証拠書類として提出され、採用されている。
辻元清美提出の「安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する再質問主意書」に対する答弁書で、政府は二〇〇七年四月二〇日、極東国際軍事裁判については「我が国は、日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号。以下「平和条約」という。)第十一条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。」と答弁した。《答弁B》
極東国際軍事裁判で証拠として採用された文書が明らかにされたことは、安倍首相と日本政府にとって、「河野談話の継承」がゆるぎない方針であることを示す重要な機会である。
従って、以下、質問する。
一 《当該資料に対する政府の認識》について
1 政府は、当該資料が極東国際軍事裁判に提出され、証拠書類として採用されていること、及び当該資料の存在を承知しているか。
2 政府は、極東国際軍事裁判に提出され証拠書類として採用された当該資料が、四月二〇日付答弁書の《答弁B》における「我が国は・・・異議を述べる立場にはない」とする対象に含まれ、その内容に異議がないことを認めるか。
3 当該資料における《傍線1》《傍線2》《傍線3》は、日本人将校及び日本軍憲兵の命令・恫喝により、女性がその意志に反して強制的に連行・強姦されたことを示しており、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」であると考えるか。政府の見解を示されたい。
4 政府は、当該資料は「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す」資料であるという認識か。
二 《当該資料に対する安倍首相の認識》について
1 安倍首相は、当該資料が極東国際軍事裁判に提出され、証拠書類として採用されていることを承知しているか。
2 安倍首相は、当該資料における《傍線1》《傍線2》《傍線3》は、日本人将校及び日本軍憲兵の命令・恫喝により、女性がその意志に反して強制的に連行・強姦されたことを示しており、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」であると考えるか。
3 安倍首相は、当該資料は「当初、定義されていた強制性を裏付けるもの」であるという認識か。
三 政府は、三月一六日付答弁書の《答弁A》について、いまも同じ認識か。
四 政府は、二〇〇七年五月二八日現在の時点の認識で、「軍や官憲によるいわゆる強制連行」はあった、と考えるか。ないという認識であれば、その根拠を示されたい。
五 安倍首相は、二〇〇七年五月二八日現在の時点の認識で、「官憲が家に乗り込んで人さらいのように連れて行くような強制性は」あった、と考えるか。ないという認識であれば、その根拠を示されたい。
六 安倍首相は、二〇〇七年五月二八日現在の時点の認識で、「当初、定義されていた強制性を裏付けるものは」あった、と考えるか。ないという認識であれば、その根拠を示されたい。
七 いわゆる「河野官房長官談話」を閣議決定すべきと考えるが、あらためて政府の見解を示されたい。すべきでないと判断するのであれば、その根拠を示されたい。
右質問する。