つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

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麻生首相の歴史認識に関する質問主意書

2008.11.6

質問主意書

麻生首相の歴史認識に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。
平成二〇年一一月六日
提出者  辻元清美
衆議院議長  河野洋平殿

麻生首相の歴史認識に関する質問主意書
麻生首相は、これまで下記のような発言を行ってきた。
(一)「当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと、名前のところにキンとかアンとか書いてあり『朝鮮人だな』と言われた。仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ」
(二)「ハングルは日本人が教えた。うちは平仮名を開発したが、おたくらにもそういうのはないのか、と言ったらハングルができた。日本の植民地統治は教育制度を整え、ハングル普及に貢献した」「正しいことは歴史的事実として述べた方がいい」
(三)「あちらはあちらで勝手だ。我々はわれわれできちんとやればいい。歴史認識は一緒になるわけがない」(以上は二〇〇三年五月三一日、東京大学の講演で、当時外相)
これらの発言について麻生自民党政調会長(当時)は、二〇〇三年六月二日、党本部で記者会見し、当該発言について「学生にわかりやすく説明しようとして言葉が足りなくなり、真意が伝わらなかった」と謝罪している。ただし、「双方で色々な認識があり、学者等々で続いている話だ。その経過を見守らないと、きちんとした発言はできない」として発言そのものは撤回していない。(二〇〇三年六月三日、朝日新聞)
また、二〇〇八年九月二五日に、麻生内閣の一員であった中山成彬国土交通相(当時)が、「日本は単一民族」と発言した。しかし麻生首相自身かつて下記のような発言をしている。
(四)「(日本は)一国家、一文明、一言語、一文化、一民族。他の国を探してもない」(二〇〇五年一〇月一五日、福岡県太宰府市・九州国立博物館開館記念式典の来賓祝辞で、当時総務相)
さらに、麻生首相が麻生セメント取締役社長時代に製作した「麻生百年史」(編:麻生百年史編纂委員会、版権者:麻生太郎、一九七五年五月一日発行)に、下記のような記述がある。
(五)「十二月八日、海軍は真珠湾を奇襲攻撃し、対米英戦争を開始した。/この不意打ちは、実は既に米国の首脳部では確実な情報として知っていたが、最初の挑発、最初の一発を、待ち受けていたことから、わざとハワイの司令官には通報せず、これによって「リメンバー・パールハーバー」という合言葉をつくりあげ、それを旗印にして、国論を対日戦争に巧みに統一させたといわれる。」(「麻生百年史」四四一頁)
アジアだけでなく欧米各国からの懸念をはらす上でも、麻生首相の現在の認識を確認したい。
従って、以下、質問する。

一 (一)創氏改名について
1 麻生首相が「当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと、名前のところにキンとかアンとか書いてあり『朝鮮人だな』と言われた。仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ」という趣旨の発言をしたのは事実か。日本政府はそうした事実があったことを認識しているか。
2 麻生首相は、現在も「創氏改名は『朝鮮人の要望』で始まった」との認識に変わりはないか。そうであるなら、いつ、誰の、どのような要望によるかを具体的に示されたい。それは、日本政府の見解か。また、「当時、朝鮮の人たちが日本のパスポート」を必要とした理由は何か。
3 麻生首相は、このときの創氏改名についての発言について、現在も「言葉が足りなくなり、真意が伝わらなかった」という考えか。そうであるなら、どのように「言葉が足り」なかったのか。また、伝えようとした「真意」は何か。またそれは、日本政府の見解か。
4 麻生首相は、創氏改名は当時の日本政府の方針によって強制的に行われたと考えるか。まったく任意の届出制であると考えるか。またそれは、日本政府の見解か。
5 麻生首相は、現在も、当該発言を撤回する意思はあるか。しないのであれば、撤回しない理由を示されたい。
二 (二)ハングルの普及について
1 麻生首相が「ハングルは日本人が教えた。うちは平仮名を開発したが、おたくらにもそういうのはないのか、と言ったらハングルができた」という趣旨の発言をしたのは事実か。日本政府はそうした事実があったことを認識しているか。
2 麻生首相は、現在も「ハングルは日本人が教えた」との認識に変わりはないか。そうであるなら、いつ、誰が、どのように教えたのか。またそれは、日本政府の見解か。
3 麻生首相は、このときのハングルの普及についての発言について、現在も「言葉が足りなくなり、真意が伝わらなかった」という考えか。そうであるなら、どのように「言葉が足り」なかったのか。また、伝えようとした「真意」は何か。またそれは、日本政府の見解か。
4 麻生首相は、現在も、当該発言を撤回する意思はあるか。しないのであれば、撤回しない理由を示されたい。
三 (二)日本の植民地統治と教育制度について
1 麻生首相が「日本の植民地統治は教育制度を整え、ハングル普及に貢献した」という趣旨の発言をしたのは事実か。日本政府はそうした事実があったことを認識しているか。
2 麻生首相は、現在も「日本の植民地統治は教育制度を整え、ハングル普及に貢献した」との認識に変わりはないか。そう考える根拠を示されたい。またそれは、日本政府の見解か。
3 麻生首相は、このときの日本の植民地統治と教育制度についての発言について、現在も「言葉が足りなくなり、真意が伝わらなかった」という考えか。そうであるなら、どのように「言葉が足り」なかったのか。また、伝えようとした「真意」は何か。またそれは、日本政府の見解か。
4 日本政府は、一九一〇年当時、朝鮮における私立学校および「書堂」といわれる私塾が朝鮮語教育を推進していた事実を認識しているか。また朝鮮総督府が行った私立学校規制(一九一一年)、書堂規制(一九一八年)はどのような目的によるものか。
5 麻生首相は、当時日本は朝鮮半島を、いつからいつまで「植民地統治」したという認識か。朝鮮半島以外に、どの地域を「植民地統治」したという認識か。またそれは、日本政府の見解か。
6 麻生首相は、現在、当該発言を撤回する意思はあるか。しないのであれば、撤回しない理由を示されたい。
四 (三)歴史認識について
1 麻生首相が「あちらはあちらで勝手だ。我々はわれわれできちんとやればいい。歴史認識は一緒になるわけがない」という趣旨の発言をしたのは事実か。日本政府はそうした事実があったことを認識しているか。
2 麻生首相は、現在も日本と韓国の間で「歴史認識は一緒になるわけがない」という認識か。またそれは、日本政府の見解か。
3 麻生首相は、現在も日本と韓国の間で、歴史認識を一緒にする必要がない、という認識か。またそれは、日本政府の見解か。
4 麻生首相は、このときの歴史認識についての発言について、現在も「言葉が足りなくなり、真意が伝わらなかった」という考えか。そうであるなら、どのように「言葉が足り」なかったのか。また、伝えようとした「真意」は何か。またそれは、日本政府の見解か。
5 麻生首相は、現在も、当該発言を撤回する意思はあるか。しないのであれば、撤回しない理由を示されたい。
五 (四)「一国家、一文明、一言語、一文化、一民族」発言について
1 麻生首相が「(日本は)一国家、一文明、一言語、一文化、一民族。他の国を探してもない」という趣旨の発言をしたのは事実か。日本政府はそうした事実があったことを認識しているか。
2 麻生首相は、現在も「(日本は)一国家、一文明、一言語、一文化、一民族」という認識か。そうであるなら麻生首相は、中山前国交相の「日本は単一民族」という発言と同じ認識か。またそれは、日本政府の見解か。
3 麻生首相は、現在も「他の国を探してもない」と考えるか。またそれは、日本政府の見解か。
4 麻生首相は、現在も、当該発言を撤回する意思はあるか。しないのであれば、撤回しない理由を示されたい。
六 (五)日本軍の真珠湾攻撃について
1 麻生首相は、「この不意打ちは、実は既に米国の首脳部では確実な情報として知っていた」という認識か。また、日本政府の認識はどうか。
2 麻生首相は「最初の挑発、最初の一発を、待ち受けていたことから、わざとハワイの司令官には通報せず、これによって『リメンバー・パールハーバー』という合言葉をつくりあげ、それを旗印にして、国論を対日戦争に巧みに統一させた」という認識か。日本政府の認識はどうか。
3 麻生首相は、自身が版権者である文献の当該記述について修正・削除する意思はあるか。修正するのであれば、どのように行うのか。修正しないのであれば、その理由を明確にされたい。
七 麻生首相は一九三二年の「満州建国」を日本の侵略的行為とみなしているかどうか。当時の「国際連盟」からこの「満州建国」を批判されて日本が脱退した行為をどう評価しているのか。また、日本政府の認識はどうか。
右、質問する。