辻元清美です。
まず最初に、九十九条について意見を申し上げたいと思います。
私は、近代立憲主義の主流は、やはり憲法は権力者を縛る最高規範であるというものであり、国民に憲法を尊重させる義務というものは入れるべきではない、この主流からの離脱を意味すると考えます。
国際的に見ましても、国民に憲法を尊重、守らせるという義務を入れているのは、旧共産圏に多く見られ、我が国が今まで価値を共有してきたと言われるアメリカやヨーロッパの主たる国々、そして韓国などアジアの国々でも、憲法は権力者を縛るという規範をある意味徹底していくというような方向でございます。
安倍総理は、よく、法の支配、基本的人権、民主主義の価値を共有する国々とともにとおっしゃいますけれども、ここに国民に憲法を守らせるというようなことを入れるということは、近代立憲主義の主流からの離脱であり、国際的な孤立も招くのではないかという懸念までしております。笑っている人がいますけれども、真剣にお考えになった方がいいと思いますよ。
そして、九十九条と国民主権と憲法改正の関係について申し上げたいと思います。
憲法改正というのは、そもそも、国民から、この部分を変えてもらわないと権利を大幅に侵害されるとか、この部分を変えてもらわないと自分たちの生活に支障を来すという国民の多数の声が上がって初めて、立法府で、そうであるならば、その点についての憲法改正をすべきかどうかというのを議論するというのが憲法改正の筋です。これは国民主権との関係において、そうだと思います。
かつ、国民投票法を私もこの場でかなり議論いたしましたが、我が国が想定している憲法改正の手続は、条文ごと、一つの、この点を変えましょうということであり、丸ごと、こっちの憲法とこっちの憲法をかえてしまえということは、法律上も予定されておりません。
そうしますと、各政党が、各政党といっても自由民主党だけですけれども、憲法草案をおつくりになるのは結構ですが、これが正しい憲法で、国民にこれをのめというようなことを、九十九条の、憲法を遵守しなければいけない側から提示するというのは、非常に異例のことではないかと思います。
各国の調査の結果、憲法改正を多々行っている国々もございますけれども、ここの部分を変えましょうというように、ちょっとずつ変えているわけです。
ですから、ここは、立憲主義と国民主権と、私たちは憲法を擁護して、守って、それを実現していくという役割を踏まえた上で憲法改正の議論をしないと、例えば憲法九十六条の改正についても、一部の人たちがえらいはやし立てて、それも憲法を最も守らなきゃいけない総理大臣までもが、本会議場で、特定の条項について、九十六条についての改正を、平気で推進することをおっしゃる。しかし、国民の側はほぼ拒否しているんじゃないですか。どの世論調査でも、憲法九十六条を変えるより、これは変えるのはちょっと危ないなと。
それはなぜかといえば、国民の側からここを変えてくれということを受けて、私たちはそれなら変えようという、国民主権と立憲主義の基本、そして九十九条の関係をごちゃまぜにしている。また、この九十九条の意味を、国会議員みずからが、そして為政者がよく理解していない結果、そんな形で憲法改正の提案をしていくということは、立憲主義の危機であり、私たち国会議員として姿勢が問われる事態であるのではないかというふうに私は思っています。これはかなり真剣に考えていただいた方がいい論点ではないかな。
憲法改正、反対、それは自由なんです、論じるのは。しかし、私たちの立場は一体どこにあるのかということをもう一度改めて考え直すべきであるし、かつ、今の国民投票法では、そんな丸ごと、これが私たちは正しい憲法だということを国民に提示するというような憲法改正というのは想定もされていないし、各国、そういう形で憲法を改正しようとするような国はない。
そして、それに国民に対する憲法尊重義務を入れているというような事態を諸外国から見たとき、日本は一体どこに行こうとしているのかというように思われるのではないかと思いますので、九十九条をまずきっちり私たちが理解し、遵守するということが必要ではないかと指摘したいと思います。
以上です。
<<以下 自由討議 辻元の発言のみ抜粋>>
辻元委員 前文について申し上げたいんですが、その前に、先ほどの自席を離れているときに、九十九条についての私の発言に反論が出たということで、ちょっと補足をさせていただきたいと思います。
先ほどから、総理大臣が改憲について言及することや、改憲の議連に名を連ねることや、そして、公党が憲法改正についての丸ごとの草案を出すことについても俎上に上っておりますけれども、政治ののりというのがあると思います。
今まで、例えば中曽根元総理は改憲論者でいらっしゃいました。しかし、総理大臣に就任されたときに、総理の立場において改憲の旗振りはなさらないという姿勢を貫かれました。これは御立派だと思います。そういう意味において、私は今、三権分立とか、私たち政治家として、自分の立場はどういうものであるのかということを踏まえた上で憲法議論を進めないと、そこの認識が曖昧なままに総理大臣が本会議場でおっしゃるということなどを指摘したわけです。
それから、自由民主党の前文も拝見し、憲法改正草案というのも自由民主党だけがお出しになっています。これは、公党としてお出しになるのはいいわけですが、ここで議論を積み重ねてきたことは、ずっと申し上げておりますように、この点が不備があるのであればそこを議論して変えていこうということを、憲法調査会、そして憲法調査特別委員会、ずっと議論をしてきた経過もありますので、そこで、憲法論議はそのルールであり、その今までの立法府での積み重ねの上での審査会であると考えておりますので、あえて申し上げたわけです。
そして、前文についてですが、普遍的な価値を憲法に体現していくべきなのか、それとも、道徳とか伝統や文化という、ある意味主観が入るものまで憲法に書き込むのかというのは、一般的な議論としてもよくなされるものです。
私は、憲法というのは普遍的価値を基本に置くべきものである、例えば家族を守ろうとか、道徳的または規範みたいなものについては別のところに委ねる、憲法というのは何人が見ても普遍的価値であるというもので構成されるべきだと思っておりますので、前文についても同じ考え方で、我が国の固有の伝統というのは一体何なのか、誰が判断するのかとなりますので、普遍的価値の現在の前文に対して何かつけ加える、または変更する必要はないと思っております。
特に今、グローバル時代に入っています。このグローバル化の時代で、どこの国も、一民族一政治形態、一民族一国家形態ではない時代に入っています。隣の韓国なども今移民の議論がされておりますけれども、物すごく多国籍にこれから踏み出していく時代の中で、やはり、一民族一政治形態でないけれども、皆でどういうように共存していくかという基本的な権利の保障が憲法である、さらにその時代は加速されるのではないかと私は考えております。
その意味において、私は、今の前文がまだまだそれにたえ得るのではないかと考えておりますので、これにあえて何か価値を伴うものを入れていくということには反対です。
以上です。
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辻元委員
先ほど、私の発言について何名かの方から御意見がございましたので、意見を申し上げたいと思います。
先ほど土屋委員が、前文等に価値や伝統などが入っている国々があるということで御紹介いただいたことは、私も承知しております、中国もイスラム諸国も。これは、大分早くに調査室等に依頼をいたしまして、他の国の前文も比較参照した上での発言です。
先ほど、冒頭に私は、九十九条との絡みで、憲法は権力者を縛る最高規範であり、国民に尊重させるというのは、近代立憲主義の主流の国ではそうなっていないんじゃないか、あえて主流ということを申し上げたんです。
そして、冒頭申し上げたときに、法の支配と基本的人権、民主主義という、安倍総理がよくお使いになる言葉で表現されるような、日本国と価値を戦後ともにしてきたような国々では、普遍的価値を中心に憲法を構成しているのではないかと。中国やロシアという旧共産圏は、国民への尊重義務を課すとともに、かなりその国の国柄をお入れになっている、そちらの方に日本を変えていきたいのかということを問うたわけであって、私は、現状がいいのではないかと思っております。
それから、先ほど、法律をつくる際に憲法とのそごがあれば、それを国民に知らせ、問うという話もありました。
第一義的に、私の理解では、憲法というのは人権を擁護するものであるから、例えば、被災地の皆さんは憲法二十五条に照らし合わせて最低限の生活ができているのかどうかということを、憲法二十五条の実現ということで最低限の保障をする法律をつくったり、それから、生活や人権を守っていくというのが国会議員の仕事だと思っております。
しかし、その中でもそごが出てくるところもあるでしょう。特に九条のことがよく言われますけれども、その際どうするのか。
三分の二を二分の一に緩和という話ですが、立法府がそごがあるからそれを提示しやすくするというのは、憲法によって縛られている権力者の側からの発言だと思うんです。
なぜ三分の二になっているかといえば、国民は権力を疑う。要するに、権力は時として暴走するときがあるから、その暴走を食いとめるために憲法というたがをあらかじめはめている。ですから、このたがというのを変えるときにはそれ相当のハードルを課しますよというのが、国民主権の、立憲主義の考え方の憲法改正についての認識だと私は思っております。
ですから、国民の側から見たときに、権力の暴走を食いとめる歯どめとして憲法があり、そして、ハードルの高さとして三分の二を提示していると思いますので、それを、憲法の範囲で、国民への規範として、国民が守らなければならない法律を憲法の中でつくるという、二分の一よりも高いハードルを課しているというのは、私は、これは何も変える必要はないと思っております。
こっちであったそごを国民に知らしめるというのではなく、むしろ、私たちがのりを越えないための規範であるというところに立脚して九十六条の問題も議論されるべきであると私は考えておりますので、三分の二を二分の一に変えるということには賛同しかねる。
そして、さらには、それを立法府ではなく行政府の人たちが言う。先ほどからまた問題になっておりますけれども、歴代の大臣は、改憲絡みの議連などからは、今まで、自民党の方、御辞退なさっている方はたくさんいらっしゃるんですよ。私は、それは政権党としての矜持がしっかり政治の中にあったと思います。ですから、そこに立脚点を戻していただきたいということも申し上げて、発言を終わります。