169-衆-安全保障委員会-2号 平成20年02月22日
辻元委員
社民党の辻元清美です。
私も、引き続きまして、二月十九日の海上自衛隊イージス艦「あたご」衝突事故について、防衛大臣を中心にお伺いしたいと思います。
もう残念でなりません。先週の金曜日は、私は予算委員会で在日米軍の女子中学生強姦事件を質問したばかりで、これも残念でならないと申し上げたんです。それで、昨年を振り返りましても、守屋前事務次官の問題を初め、安保委員会は事件、事故処理委員会になっているんじゃないかと申し上げたことを、大臣、記憶に新しいと思います。今回は人命にかかわる、本当に今捜索中で、何とか助かってほしい、日本国じゅう、世界の人たちがそう思っておりますが、大きな事故を起こしてしまった。本当にこれは重大な大臣の御決意が迫られるような局面を迎えていると私は思います。
そういう中で、先ほど大臣は、国民一人の命を守れなくて何で国が守れるのか、そんな思いだとおっしゃいました、きょうの委員会で。この声は今渦巻いていますよ、国民一人守れなくて何が国を守るやねんと。この声をどのように受けとめ、大臣もそういう気持ちだとおっしゃった、もう少し具体的にどういう意味か教えてください。
石破国務大臣
私どもの組織の中に、やはり我々はお上なのだ、軍なのだ、そういう思いがかけらでもなかったかということだと思います。私ども、戦闘集団でございますから、先ほど申し上げましたように、法令の除外規定というのはあるのですけれども、大前提として、国民の生命財産について配慮をしなければいけないということは、それは戦闘集団、実力集団であるかどうかを問わず、当然のことなのでございます。
そういう意識が欠けていたのじゃないだろうか、少なくとも、ある意味で、一部に、ごく一部かもしれませんが、思い上がりみたいなものがあったのではないか、だとすれば、仕組みの問題とともに、これに携わる者一人一人の意識の問題というものも問い直されなければいけない、これは私も含めてです、そのように私は思っておるわけでございます。
人一人が守れなくて何で国が守れるのかということについて、非常に深い意味というか、委員がお尋ねになりたいようなきちんとしたお答えではないかもしれませんが、私自身、そういうような思いがきちんと一人一人に徹底されていたのだろうかということについて思うところがあるということを申し述べた次第でございます。
辻元委員
今、おごりがあったんじゃないかとおっしゃいました。あったんじゃないかじゃなくて、あったんだと思います。
この間、防衛省の方にもたくさんの皆さんから声が寄せられている、批判や非難の電話が鳴りやまずというようなことを聞きました。どんな声が防衛省に届いていますか。
石破国務大臣
これは、内局、海幕、あるいはそれぞれの部隊等々にいろいろなものが入ります。あるいはお電話、お手紙、メール、いろいろな手段がございますので、今そこを精査しておるわけでございますが、主なものを申し上げれば、規律が緩んでいる、隠し立てをするな、捜索はしっかり行われるべきだ、責任を明らかにすべきだ、そして、連絡体制をきちんと構築すべきだというのが意見の中で多く承ったものでございます。
規律が緩んでいるではないかというのが一番多い、それから隠し立てをしてはならないということがその次、大体あとは同じような数で続いておるというふうに承知をしております。
辻元委員
そうしますと、今五つぐらい挙げられました。その中に、責任を明らかにすべきだというのがあります。責任はどこにあると思いますか、大臣は。