166-衆-日本国憲法に関する調査…-2号 平成19年04月05日
辻元委員
社民党の辻元清美です。
きょうは、四名の公述人の皆様、ありがとうございます。
この公述人の応募を百二十四名の方がしてくださいましたので、まだまだたくさんの方の御意見を私たちも聞くべきであると思いますし、それから、皆様の御意見でももっとほかの人の意見も聞くべきだというふうに承りました。ちょっと内訳を皆さんに御紹介しておきたいと思います。
十代一名、二十代十名、三十代十五名、四十代二十名、五十代四十名、六十代二十二名、七十代八名、八十代一名、不明が七名、年齢構成はこうなっております。そして、男性七十二名、女性五十二名でございました。
そして、立場別の内訳は、もとの与党案の賛成は〇名、民主党案賛成二名、両案賛成二名、そして与党案修正後賛成一名、民主党案修正後賛成、これは修正しておりませんのでまだありません、それから、両案反対が百八名、その他十一名という内訳になっております。
これは、私は反対の立場なんですけれども、私が予想したよりも反対の人が多かったというので、私自身も驚いているというようなことなんですね。これは、国会の中の議席数というか意見と民意との乖離があるのではないかというように非常に懸念をするわけです。
さて、そこで本題に移りたいんですけれども、この間、地方公聴会で意見も伺いまして、こういう言葉がございました、憲法に関することは総意と熟慮が必要だと。それから、ヨーロッパ等の視察でも、コンセンサスということが強調されました、それがないと社会が混乱すると。きょう、庭山公述人も、社会の安定装置というような観点から憲法の取り扱いに慎重な態度をという御主張をされたように思うんですけれども、これは護憲、改憲の立場を問わずなんです。よく、あんた、守りたいからそう言うてんのやろと言う人がいるんですが、そうじゃないと思います。
社会の安定装置としての憲法をどのように取り扱っていくのか、そして総意と熟慮をどのように取り扱っていくのか。ヨーロッパに行って、こういうことも私たちは学びました、大方の総意がないことを国民投票に付すと否決されるというか混乱する。ですから、本当に十分総意をもって丁寧に扱わないと社会の混乱につながるというような趣旨の御発言も多々伺いました。ですから、これは、憲法改正に賛成反対関係なく、総意と熟慮が実現される手続法になっているのか、取り扱いになっているのかということが大事だと思いますので、その点で御質問をしていきたいと思います。
まず、百地公述人にお伺いします。
先ほど来の百地公述人の御発言の中で、こういうくだりがございました。むき出しの権力を自由に行使し新憲法を制定するような場合と、憲法典の定めるところに従って憲法改正権を行使する場合とでは、当然行使のあり方も異なるわけですと。
先ほどからの御意見を伺っておりますと、今議案とされていますいわゆる国民投票法案というのは、後者の、憲法典の定めるところに従って憲法改正権を行使する場合を想定したものであって、むき出しの権力を行使して新憲法を制定するような場合ではないという理解でよろしいんでしょうか。
百地公述人
ここに書いたとおりでございまして、憲法改正というのは、いわば制度化された制憲権といった言い方をする場合もありますけれども、憲法秩序、現行憲法典秩序の中で行使される一種の主権でありますから、当然、憲法典が存在しないところで、いわば法的な規制がないところで自由に行使される憲法制定権力とは違う。したがって、その行使については、当然国法秩序等によるさまざまな規制とかがあってしかるべきであるという話をここで申し上げたわけです。
辻元委員
ありがとうございました。
新しい憲法を一から書き上げるとよく安倍総理もおっしゃっているわけなんですけれども、私は一見もっともらしく聞こえる場合があります、それとか、真情の吐露とかカタルシスの解消という意味ではこういう発言は見受けられるようには思うんですが、本委員会での議論を通じまして、一から書き上げるとか新しい手でつくるんだというのは、非常に政治的には未熟な議論ではないかというように思いました。
庭山公述人にお聞きしたいと思うんです。
例えば、それぞれの憲法にまつわる手続法も含めまして、前回も紹介したんですけれども、アメリカの場合ですと書き加えていく方式ですね。それもシングルサブジェクトルールという、要するに急激な社会の変化をもたらさない方向で憲法に手を加える。ヨーロッパなどでも急激な社会の変化ということは非常に危険な場合が多い、ナチスが出てきたり、いろいろな歴史的な経緯もありましたので。ですから、全面的に書きかえてしまうとか新しく書き上げるということについて、オーストリアなどで質問したら、これは自民党の方が質問されたんですけれども、えっ、そんなことがあるんですかというような反応だったわけですね。ですから、新しく書き上げるとか全面改正をするということは想定できないと思うんですが、庭山公述人はいかがでしょうか。
庭山公述人
ちょっとお答えしづらい御質問かなと思うんです。
私は、革命なんて、ない世の中の方がいいに決まっておるんですよ、それは法的革命であろうと事実上の革命であろうと。つまり、それは、それまでの間、社会が自分たちの自助努力を怠ってきたツケが革命という形で出るわけでして、そういう点からいいますと、そんなものはない方がいいに決まっている。
ですから、憲法の問題についても、おっしゃられている方の御趣旨は私にはわかりませんけれども、また、その方なりの御信念があって言っておられることでしょうからそれを批判することはいたしませんが、しかし、日本の今の憲法というのは、賞味期限はまだまだあるよ、まだまだ使い勝手がいい憲法だよというのが私の基本的な認識でございますので、全部一から書き直そうということは、私は到底理解はできませんということでございます。
辻元委員
もう一問、これに関連して庭山公述人にお伺いしたいんです。
私は、憲法審査会の機能について懸念を本委員会でも表明してまいりました。それは、常設の憲法審査会を設置し、当面、三年間は調査に専念ということですけれども、その後は常に憲法改正原案を審査し、つくることができるものが常設されていくということになります。これは、国民投票法案が実行されたとして、一回憲法改正が否決されたり、または改正案が成立したり、この二つの場合がありますが、その後も本案が通っていくとずっと続くと理解されるわけですね。そうすると、常に憲法改正の議論をしている。私は、これは社会の安定性ということからかんがみてなんです。
それともう一点、この委員会の機能の中に、合憲か違憲かということを内閣法制局等にかわって判断するというような機能を持たせたらどうかという議論もこの中で出ております。しかし、これも社会の安定性から考えますと、そのときの政治勢力は選挙ごとに議席数も変わります。そして、本委員会も、ずっと同じ委員がやっているわけではない。それに、座りにだけと言うたら悪いんですけれども、何時から何時までと割り当てで座ってはるような人もいらっしゃるようにもお見受けするわけですね。(発言する者あり)お見受けですよ、これは。
そうすると……(発言する者あり)いや、私はお手洗いに行く以外はずっとおります。そうすると、私は、改憲原案をつくったり、または憲法の解釈までもするということに非常に危惧を持っているわけです。それは対立的に申し上げているんじゃなくて、社会の安定性ということを考えた際に、国会の中に常設するということが適当なのかどうか、この点は、庭山公述人、いかがでしょうか。