165-衆-安全保障委員会-9号 平成18年11月24日
辻元委員
社会民主党の辻元清美です。
きょうは本当に、参考人の皆様、ありがとうございます。
まず最初に、現在の日本を取り巻く、特に安全保障議論についての御見解と、それから、防衛省ではなく、今まで庁としてきた戦後日本の中での歴史的な意味はどういうふうなところに見出せるかという御意見を伺いたいと思います。
例えば、今回のこの法案をめぐりましても、さまざまな新聞でも、社説などで紹介されております。その中の一、二を紹介したいんですけれども、「防衛を担当する役所を「省」ではなく「庁」としてきたのも、軍事力を抑制的に考える戦後日本の姿勢を反映したものだ。 それを「省」に昇格すべきだというのならば、そうした歴史への総括がなければならない。平和国家としての理念にもかかわる大きな枠組みの議論が必要なのではないか。」とか、地方紙も、自衛隊を首相の指揮下に置くことは、文民統制を一層徹底させるとともに、軍事大国化の道は歩まないという政治的に重要なメッセージを含んできたと。そういう中で戦後日本は歩んできたと思います。
ですから、私は、単なる役所の名前の書きかえとか、それからいろいろな権限がというような話ではなく、もっと大きく、私たちが戦後をどういうふうに見るかということにもかかわってくると思いますので、この点についての意義と、そして現在の安全保障をめぐる議論の政治状況をいかにお考えか。
私は非常に危惧をしております。それは、ここでも、文民統制、シビリアンコントロールという言葉がございますけれども、むしろ政治の側が浮き足立っているような気がしてならないわけです。といいますのも、最近、麻生外務大臣などが、核保有議論の必要性についてという発言があったり、それから久間防衛庁長官の、非核三原則の、かすめるということについての発言があり、物議を醸したり、それから最近では、弾道ミサイル防衛システムの整備等について、福田官房長官が集団的自衛権との関係についての縛り発言のようなことを談話で出しておりますけれども、この見直しというようなことを総理が言い出したりということで、私は、何か非常に浮き足立っているような危惧を持っております。
ですから、戦後の意味と今の安保をめぐる議論の私のこの危機感についていかがお考えかということをお聞きしたいと思います。
増田参考人
私、ただいま、辻元先生の御質問、二点あるというふうに理解しております。
一つは、防衛庁の成立の経緯というものが、そもそも日本の防衛力というものを抑止する一つの存在として庁であったんだ、こういう御見解でありますけれども、先ほど私が申し上げましたとおり、むしろ、そうしたことではなくて、歴史的な経緯があったんだ、すなわち、占領時代の遺産といいましょうか、その延長線上に防衛庁というものが成立したんだと。すなわち、マッカーサーとワシントン側との日本の再軍備に対する意見の対立があり、それが朝鮮戦争という突発的な熱戦の中で日本は防衛力を担う役割を強要された、こういう事実があるわけでありまして、そうした延長線上に防衛庁というものが誕生するわけでありまして、決して御指摘のようなことではないというふうに考えております。
それから、安全保障に関する議論に対する私自身の意見はどうかということでありますけれども、私はむしろ逆に、先生とは異なって、安全保障が非常にフリーに、自由に議論されるようになったということは極めて健全ではなかろうかというふうに考えております。
先ほど私ごとを述べさせていただきましたけれども、私がまだ二十前後のころというのは、安保騒動の余韻がまだまだ続いておりまして、軍事問題、あるいは安全保障の問題、あるいは安保の問題、それを自由に論議することが許されない、そういう雰囲気があったわけであります。すなわち、これはタブー視されていたのであります。しかし、そういうことが果たして健全であると言えるかというと、私はそうは思わないのであります。
そういう意味において、今日、とりわけ九〇年代以降、安全保障の問題が、それはもちろん軍事問題を含めた安全保障の問題が政治問題や経済問題と同列に議論されるようになったということは、これはむしろ結構なことであって、決してそれを忌避するようなことはないのではないかというふうに私自身は考えている次第でございます。
以上です。
富井参考人
辻元先生の御質問、非常に難しいことで、ちょっとなかなか答えにくいんですが、二点あると思います。
一点は、現在の安全保障の議論をどう見るかということですけれども、これは、日本は、基本的には私は憲法九条というのは非常にいい条文だと思います。ということで、九条のおかげということだけじゃないと思いますが、平和で来たのは、九条ということは決して小さくないと思います。
ただ、憲法は、終戦のああいう流れの中ででき上がったということで、先ほど、何回かもう言っていますけれども、軍事に対しては非常にネガティブなことを持っているということで、それでずっと来たわけですけれども、最近、国際情勢が変わりまして、国民の不安に対する意識、先ほど申しましたが、非常に高まっている。
もともと国家というのは、どんなに削っても、結局、国家の防衛ですとか警察ですとか司法というのは、これは残るわけで、そういう意味では、やはり安全保障というのは基本的な責務であるということは、今の現行憲法でもこれは余り違わない。ただ、日本国憲法は、軍事を前面に出して安全保障を推し進むということはいかがなものかというふうにしていると解釈できるというふうに思います。
従来の安全保障の議論というのは九条という議論で、私も法律学の学会に属していますが、特に憲法学会などは、これは私はそれなりに健全な解釈だと思いますが、例えば自衛隊違憲ですとか、そういうような流れで来たということで、なかなかその先に行かなかった。しかし、国民は、実際には、自衛隊が憲法違反かどうかということを無視するわけじゃないですけれども、本当に日本、我々を守ってくれるのか、国家を守ってくれるのかというようなことを危惧しているということで、この負託にはやはり政府はこたえなければいけない。
今、九条をないがしろにするということではなくて、九条をもう少し現実的にとらえるというような展開になってきて、イデオロギッシュな議論ということよりも、むしろ技術的な議論ということが高まってきている。本来安全保障というのは、イデオロギーよりも、やはり技術的なものが非常に多いと思います。これは科学です。客観的に国民の生命身体を守る、国家を守るということは基本的なことであって、そこに社会主義も資本主義も基本的にはない。ないというか、それはそんなに強く議論するということはない、国家としては基本的な責務であるということをまず位置づけなければいけない。
さりとて、日本は、憲法で軍事を前面に出すという選択は否定したということですけれども、やはり最後は、最後というか、軍事というのを全く否定したというわけではない。個別的自衛権という形で究極的には自衛隊が出てくるということは決して否定しているということではない、これは政府の解釈と思いますけれども。ということで、今言ったように、安全保障というのはもう少し冷静に、客観的に議論するという場が必要で、だんだんそうなってきているんではないかということを感じるということです。
二点目で、防衛庁の総括ということですけれども、これは防衛庁から防衛省になるということで、先ほど辻元先生、私のその懸念は不健全でしょうかというふうにお尋ねになりましたが、私は健全だと思います。政治家は、やはり軍に対しては常に警戒的な態度をとらなければいけない。しかし、ネガティブな態度はとってはいけない。安全保障というのは、軍事と政治で、両輪で動いていくという部分がなきゃいけない。政治だけで国は守れないし、自衛隊だけでは国は守れないということ、これが重要です。
ということで、基本的には、自衛隊の使い方については議会の統制ということをしっかり担保するということが重要ではないかということです。
ちょっと長くなって済みませんでした。
前田参考人
自衛隊が抑制的に庁という立場に置かれてきたのは平和国家の理念の具現ではないのかという第一の論点があります。私は増田参考人とは反対であります。まさに、平和国家の理念の具現が庁という行政組織の形に今日に至るまで置かれてきた大きな根源だろうと思います。
それは、警察予備隊発足のときの後藤田正晴さんの回想録、アメリカがどのような圧力をかけてきたか、彼がそれをどのように拒否してスモールアーミーを警察予備隊という編成表にかえていったかということは極めて具体的に書かれています。同じように、海原治さん、先月お亡くなりになりましたが、彼のオーラルヒストリーを子細に読めば、彼もまた、内務官僚として、命じられた再軍備をやらなければならないけれども、それが憲法のもとで普通の軍隊、アメリカが要求する軍隊であってはならないということを具体的にやった方です。久保卓也さん、七〇年代、基盤的防衛力構想をつくられた方もまた同じような考え方の持ち主だったと思います。
政治家でいえば、吉田さんから宮沢喜一さんに至る、再軍備をしながらも、しかしそれは抑制的なものでなければならないということを実際に形にされました。それは、芦田均、重光葵たちの再軍備論と対比させながら、どちらが採用されたか、なぜ採用されたか、それはどんな形で採用されたかを見れば、明らかに、庁であった、庁であるという合理的根拠、そのような憲法運用、彼らを護憲側には私は入れませんが、しかし、憲法から日本の軍事組織が導き出されてきた痕跡を見つけるのは容易だと思います。
それが今壊されているのが、第二点の安全保障をめぐるかまびすしい今の議論だろうと思います。タブーがなくなったということですね。ミサイル防衛、核の保有に関しても、集団的自衛に関しても、タブーを設けずに議論しようではないか。それがこの法案の三条二項に出てきていますし、また別の法律という形で予告されているというふうに私は受けとめて、大変危機感を持っています。それは同時に、改憲という別のステージでも議論されているわけですが、この法案の改正にも、最近の安倍政権になってからの安全保障をめぐるタブーなき議論というのが反映しているように思われます。
私は、憲法を守る、ないし憲法に拘束されるという歴代内閣、それは保守政権によってずっと担われてきましたが、しかし、例えば非核三原則、例えば武器輸出三原則、例えば宇宙の平和利用というような形で、内閣の政策としてこの憲法が要請している安全保障政策を維持するということは守られてきたと思います。それが今、たがが外れるといいますか、それも言論の自由の範囲内だという言い方をしている。違うと思います。
それらは内閣の政策であると同時に、継承されてきた内閣の政策であり、院の決議によって再度、非核三原則に関してはもう五回か六回、両院の決議によって採択されています。単なる内閣の政策、一内閣の政策ではないということですね。しかも、鈴木善幸総理大臣は、イギリスの王立協会のスピーチで、ワシントンのナショナルプレスクラブのスピーチで、日本の非核三原則はナショナルポリシーだというふうに言っています。これを内閣の政策だから取っ外してしまえというのは、乱暴な議論だと思います。
安全保障は自由にというのは、それは言葉の上ではそのとおりかもしれませんが、しかし、そのように継承され、踏襲されたもの、ヒトラーだっていいことをしたんだというような議論をドイツで始めたら大変なことになる、そんな議論もいいというようなことになってしまうだろうと思います。そういう意味で、今の議論、安全保障をめぐる議論には大変危機感を持っております。
〔寺田(稔)委員長代理退席、委員長着席〕
辻元委員
私は議論の中身が問題だと思います。机上の空論の安全保障議論が多いんではないか。
例えば、先ほどから、どういうことかというと、周辺事態に対する活動や国際平和のための取り組みへの寄与というのを三条任務につけ加えることに関しても、そうしましたら、イラクに行った自衛隊の活動を皆さん御存じでしょうか、具体的に。サマワの警備を何人がして、給水活動を何人がしたかとか、どれだけの経費を使ってどのような成果を上げたのか、中身についての議論がないわけです。
さらに、例えば、先ほどPKOの話がありましたけれども、私もカンボジアのPKOの現場には行きました、最初のころ。PKOのことは、私は安保委員会でずっと、この十年近く議論をしてきました。例えばPKOについても、上位十カ国、どういう国がPKOにたくさん参加しているか、ちょっと御紹介したいんですが、一位バングラデシュ、二位がパキスタン、インド、ヨルダン、ネパール、エチオピア、ウルグアイ、ガーナ、ナイジェリア、南アフリカです。PKOの理念というのは、大きな国が一国で何百人単位でどっと入って完結的にやるのではなく、小さな国、多国籍が入っていって、中立性を高めて、そして活動する。または、特に途上国のような国は、PKOがその国の資金を稼ぐという役割もしておりますので。ですから、では、PKOの活動、例えばルワンダで給水もやったといいますけれども、ドイツから来ていた非軍事の活動の方がはるかに効率がいいわけです。自衛隊の組織では、ピラミッドですから、PKOの活動などになかなかそぐわない面もあるわけですね。
ですから、その中身についての議論なく、形とか、MDとか、そんな話ばかりしている議論に私は懸念を表明しているわけです。
そこで、最後にまた三人の方にお聞きしたいんですけれども、このPKO活動やイラクの自衛隊の活動についての御所見。
実際に先ほど増田参考人が湾岸戦争のときの話からスタートされましたけれども、私は、その議論の立て方、非常に懸念しております。湾岸戦争のときに、あれはクウェートが感謝をするというところに日本の名前がなかった。あのときもさんざんその話が、その後も出ていますけれども、あれは外務省の怠慢じゃないか、ちゃんとプレゼンしてないじゃないかということをみんなわあわあ言っていましたけれども。それをもって、先ほど、世界から批判を浴びたという、どこの国が具体的にどう非難したのか。要するに、そういう中身の具体性を持った議論をするのが私は安全保障の議論だと思っています。PKOの中身について、では、ルワンダはどうだったのか、カンボジアはどうだったのかということの中身についてどのようにお考えなのか。
イラクについても、費用でいえば、例えば自衛隊員は約二万円ぐらい一日行ったら出張手当とかつくわけですね。五百人ぐらいで一千万ですよ。後半何していたかと聞きますと、学校を修復していたとおっしゃるわけですけれども、イラクなどでは、NGOとかいろいろなところ、民間で学校を建てる、六百万円から一千万ぐらいで一校建つわけですよ。そうすると、出張手当の分だけで新しい学校を新設できるわけですね。
ですから、総合的にイラクでの自衛隊の活動の中身をどう評価されて、どんなふうに皆さんは御理解なさっているのか、それから、PKO活動については具体的に何のどこがよかったのかということをぜひお三人にお聞きしたいと思います。それが私は安全保障の本当に中身の議論だと思うんですね。