4月16日に発売された保守系論壇誌『表現者 criterion(クリテリオン)』5月号。
今年1月にお亡くなりになった評論家で元経済学者の西部邁さんを追悼する特別号に、辻元清美が追悼文を寄稿しました。
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西部邁さんに鍛えられたからこそ、今の私がある
衆議院議員 辻元清美
私が西部邁さんと初めてお会いしたのは、三十年前の二十代のころ、『朝まで生テレビ!』のパネリストとしての共演でした。以来、「朝生」では何度もご一緒させていただき、市民運動のことや憲法九条のこと、天皇制のことなど、多岐にわたる議論をしてきました。
当時の「朝生」は、大島渚さんや野坂昭如さん、小田実さん、野村秋介さんら、戦前生まれの重鎮文化人が多数出演していました。そんな中、いちばん末席に座っていた二十代の私に、西部さんは、いつも皮肉をきかせた”いじわる”な質問をぶつけてきました。
「市民運動っていうけれど、それで社会がどう変わるの?」
「ひとの善意に頼って、世の中がよくなるとあなたは思っているの?」
「憲法9条を護っていればそれでいいの?」
などなど。
そして、「それであなたはどう考えるの」「人の批判をするのではなく、あなたの意見を言いなさい」と挑発するような目線を投げかけながら、ねっとりとした口調で言うのでした。
そんな西部さんを、当時の私はひそかに「いじわるおじさん」と呼び、出演者の中に西部さんがいらっしゃると知ると、気が重くなったものでした。
しかしあるとき、はたと気づいたのです。私は、自分と同じような考えを持つ人たちとだけ付き合い、話し、それで世の中が変わると思っていたのではないか、と。
西部さんに、その”ギマン”の隙を突かれたように思え、それからの私は、自分と意見が違う人とも積極的に議論することを心がけるようになりました。
自分の意見が正しい=正義なのだと言い放つのではなく、自分の意見を疑う。自分自身を疑う。
西部さんは”いじわるおじさん”役を演じながら、そんな視点を私に教えてくれたのでした。
お年を召されてからは、にこにこと穏やかな笑顔をなさっていて、”いじわるおじさん”どころかすっかり”やさしいおじいさん”になられました。
でも、好々爺になられても、私にとっての西部さんはやはり、懐からチラッと鋭い刃物が見え、ばっさりと斬られそうな、コワイ存在であり続けました。
私は今、政治の場に身を置いていますが、西部さんに気づかせていただいた「正義を疑う」という視点を、いつも忘れないようにしています。
朝生のスタジオで西部さんから受けた緊張感を、今でも自分がまとっているような気がします。
相手と意見が対立し、つい同じ意見を持つ人たちだけの輪に逃げそうになったとき、テーブルの向こう側から挑発的に「それでいいの?」と問いかけてくれる。
私にとっての西部さんは、これからもずっとそんな存在です。
西部さん、いつまでも私の”いじわるおじさん”でいてください。