あの震災から5年。3月11日に行われた「追悼式」に参列しました。
追悼式に先立つ3月4日、私は民主党・岡田代表と共に福島を訪れました。(→福島視察のブログ記事)
この日は、民主党政権時代に「6次産業化」の補助金を受けたトマト農園を訪問。トマトキムチなどさまざまな新商品を開発し、レストランも併設するなど、地場産業として定着しています。復興は道半ばでもあのときの政策が、ようやく花を咲かせた――私は、これからも被災地に寄り添います。
実は、自民党の中には、災害対策を理由に憲法改正をしようとしている人たちがいます(「東日本大震災でも何もできなかった」「緊急事態を宣言すればもっとたくさんの命を救えた」(山谷えり子・前国家公安委員長、2016/2/11)
とんでもありません。あの史上例を見ない複合災害で、ボランティアや自衛隊、自治体職員のみなさんをはじめ、現場がどれだけふんばったか。
実は、自民党の憲法改正草案には「緊急事態条項」という項目が含まれており、政府が「緊急事態宣言」すれば権限が集中されるようになっています。でもこれは、震災のリアリティから考えれば現場の足をひっぱるだけということがわかってきました。
震災当時、私は災害ボランティア担当の総理補佐官として震災対応にあたりました。そしてあの悲劇から多くの教訓を得ました。
1、事前に準備していないことは緊急時にはできない。
2、災害対策のための法律や避難計画を、一つひとつつくっていく。
3、想定外をなくす研究を進め、想定外が見つかるごとに、法律と計画を更新していく。
4、緊急時に運用できるよう訓練していく。
当たり前のことですが、平時の備えと訓練が大事ということです。
災害大国である日本は、災害対応の超先進国です。これからもしっかり備えを行っていくことを誓い、私は追悼式の会場を後にしました。