つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

活動報告・国会質問・質問主意書

フィクションで塗り固められた安倍総理の記者会見━━安倍総理が示す集団的自衛 権行使の事例に反論します

2014.5.27

国会ブログ

5月15日、安倍首相は「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告書を受けて、憲法解釈による「集団的自衛権の行使容認」について、官邸で記者会見を行いました。
 私は、この記者会見を見て「国民を欺いている」という怒りと共に、得意げにパネルを使って説明している安倍首相の姿を、これが「一国の総理大臣」のすることか、と情けなくなりました。
 それは、安倍首相が示している具体的な「危機」の事例があまりにも現実とかけ離れ、国民の生命と財産をさらに危険にさらすのではないか、と考えるからなのです。
 
以下、具体的に反論します。
事例1)
「紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子どもたちかもしれない。彼らの乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない」と、母親が乳飲み子を抱いて紛争地から米国艦船で脱出しようとしている様子を描いたパネルを指して訴えました。
<反論1>
私はかつてNGO活動で紛争地にコミットしたことがあります。湾岸戦争開戦直後のことです。
私たちが南アラビア海からスエズ運河に向かってピースボートで航海中に、湾岸戦争が勃発しました。
この時、サウジアラビアに緊急寄港して数百人の米国人避難民を助けてほしいと米軍からピースボートに連絡がきたのです。こうしたときに船舶は、自国や同盟国だけではなく人道的には国籍を選ばず乗船させなければなりません。この時は、結局、タンカーが救助しました。
紛争が起こった場合、一般的には各国艦船は民間人を乗船させません。民間の船や飛行機に輸送を要請します。
軍の艦船は「敵」からの攻撃の標的になる可能性が高いため、民間人が巻き添えになる。避難民に化けたテロリストが乗り込んでくる可能性もある。
安倍首相はこのような紛争地での軍事的常識をご存じないようです。「子どもやお母さんを助けられない」と国民感情に訴える「物語」で国民に納得させようという意図が透けて見えます。
 
事例2)
他国に向けて撃たれたミサイルを日本が撃ち落とすことは集団的自衛権の行使にあたるためできない、これが歴代内閣の判断でした。
ところが、安倍首相は「米国に向けて撃たれたミサイルを日本が撃ち落とすために集団的自衛権の行使を認めるべき」と主張しています。
<反論2>
仮に朝鮮半島などから米国本土に向けてミサイルが打たれたとしても、日本からそのミサイルを撃ち落とすことは技術的に不可能です。
そもそもワシントンなど米国本土を狙った場合は北極方面に向けて発射されるので日本上空は通過もしない。
技術的に不可能なことまで持ち出して、集団的自衛権を認めさせようとしているのは噴飯ものです。
事例3)
「日本のタンカーなどが航海する海域(ペルシア湾など)に撒かれた機雷の除去を日本の掃海艇が戦火の中でもできるようにしないと原油が止まる」と危機感を煽っています。
<反論3>
戦闘継続中の機雷除去は、戦闘行為の一環と見なされ、相手国に宣戦布告したことになります。
また機雷除去中の掃海艇が新たな攻撃のターゲットにされるので、機雷の除去は戦闘が収まってから行う場合が多い。
湾岸戦争でも、戦闘中に機雷の除去作業を行ったのは米・英・サウジアラビアのみでした。
そして現状でも停戦協定さえ結ばれれば、「遺棄機雷」の除去として自衛隊の派遣はできるのです。
集団的自衛権の憲法解釈を変えてまで、戦闘中に掃海艇を派遣する必要性はありません。
事例4)
「世界の平和のためにまさに一生懸命汗を流している若い皆さん、日本人を、自衛隊という能力を持った諸君がいても守ることができない」と海外でのNGO活動を例に挙げて安倍首相は訴えました。
<反論4>
安倍首相のこの発言に対して、紛争地で活動するNGOが反発をしました。
その理由は、自衛隊など軍隊と行動を共にすると攻撃の対象になって危険度が高まるからです。
私はカンボジアで活動中に目の前で発砲されたことがあります。カンボジア人スタッフのとっさの判断で難をのがれました。この時、もし自衛隊が一緒だったら銃をかまえたと思います。そこから撃ちあいに発展するのです。
ですからNGO活動の現場では、自衛隊などと行動することは、守ってもらうというよりも、むしろ危険を引き寄せると言われています。これは世界のNGOの常識です。
この問題点は何回も国会で取り上げてきました。安倍首相は不勉強はなはだしいと言えます。
事例5)
「近隣諸国の戦争に参加する米軍艦船への攻撃に自衛隊が応戦しなければ、日米同盟の信頼が揺らぐ」と安倍首相は言っています。
<反論5>
日本が攻撃されていないのに、米軍が攻撃されたからと日本が応戦するということは、相手国から見れば、一方的な宣戦布告に取られます。
そうなれば、日本への反撃を開始され、ミサイルで原発(特に福島第一原発)を攻撃されたら、日本は壊滅状態になります。米軍艦船を助けるのだと一発の応戦で「日本沈没」になりかねないのです。
果たして、日本の原発で弾道ミサイル防御が配備されている原発なんてあるでしょうか。
日本は原発という「核の不発弾」を何発も抱えているのですから、戦争に巻き込まれることは絶対に避けなければならないのです。
集団的自衛権というのは、かつてアメリカが南ベトナム政府に対して行使したのが典型的なように、小国の紛争に大国が介入するために使われてきました。
当時、遠いアメリカ本土がベトコンに攻撃される危険はほとんど皆無だったはずです。
しかし、安倍首相が前提にしているのは日本の近隣で起きた紛争です。正当化させてしまった相手国の報復が容易なのです。
さらにいうと、戦争のカタチも変わってきています。
イラク戦争のあと、武力攻撃に積極的に参加した英国で、どれだけテロが横行したか。
「子どもたちを守る」どころか、原発を攻撃されて日本の半分に人が住めなくなるようなリスクや、テロで安心して電車にも乗れなくなるようなリスクを、一国の総理がニコニコ笑いながら押し付けようとしているのです。
安全保障というもっともシビアな議論を、「理」でなく「情」でやろうとしているのが許せないのです。しかも、先頭で殺し殺されるのは、自衛隊の若者です。
そして、大国がしかける戦争に加担してこなかったからこそ、アフガン戦争後のタリバンの武装解除などで日本が優れた国際貢献ができたのです(彼らは、もし米軍に武装解除を求められても、信用して武器を手放さなかったでしょう)。
どうでしょうか。安倍首相が「限定的ならいいでしょう」と出してきた事例は、「国民を守る」のではなく、むしろ「国民を危険にさらし」、世界でも貴重な日本の外交資源を手放すことになりませんか?
 日本は憲法九条のもと、「専守防衛、海外では武力行使はしない」と決められています。
これを、いくら総理大臣が「海外で武力を使えるようにしたい」と駄々をこねても、変えることはできません。
 憲法は多数をとっても、たとえ最高権力者の総理大臣でも「やってはいけないこと」が書いてあるのです。
この憲法という縛りがないと、時の権力者が好き勝手なことができる=独裁になってしまうので、あらかじめ憲法で権力の行使の範囲が決められているのですから。これが万国共通の立憲主義のルールです。
これを憲法改正の国民投票にもかけずに、時の権力者が「いつの間にか海外で戦争のできる国」に勝手に変えてしまおうということは通用しません。
それでは、まるで「独裁国」「ファシズム国家」で国際的に信頼されません。
政治は戦争をさせないためにあります。
危機回避のメカニズムの構築のために、私は行動を続けます。