10月3日、福島の被災地に入りました。
福島県南相馬市では、桜井勝延市長と面談しました。桜井市長は、大震災直後、世界に福島の被害を最初に訴えた方です。今も毎朝、津波の被害に遭った海岸を死者への鎮魂の思いで走っていらっしゃいます。昨年、ボランティア担当の首相補佐官を務めていた時も南相馬市を訪ね、お会いしました。桜井市長とは、今も電話で連絡を取り合っています。私は被災地の市長や町長、ボランティア団体とのホットラインを大事にしています。復興庁などと折衝してもうまくいかない時、お電話をいただくことがあります。そんな時は大臣や副大臣に私が直接かけあっています。被災地の自治体の「よろず相談窓口」の役割が必要だと思うからです。
さて、南相馬市は福島第一原発から20キロ圏内、30キロ圏内、そしてそれ以外の地域に三分断された地域です。まだまだ多くの被災者は全国に散らばって避難していますが、少しずつ子どもたちが戻ってきた、と市長からお聞きしました。といっても、小中学生で元の56パーセントです。しかし、大震災直後は34パーセントでした。また、津波で破壊された地域にメガソーラを設置し太陽光発電の基地をつくる計画も進んでいました。
仮設住宅の「癒しサロン」も訪問し、20キロ圏内から避難されている被災者の方々から補償の問題など厳しいご意見をいただきました。現在、前の原発事故担当大臣の細野豪志さんが政策調査会長に就任し、私が副会長を務めることになりました。早速、細野さんに状況を伝え対応を考えていきます。
この「癒しサロン」は日本国際ボランティアセンターが運営しています。この団体はアジア・アフリカなどで支援活動を展開しています。かつてカンボジア支援を一緒にしていた人とこの「癒しサロン」で再会。20年前はプノンペン、今は福島でお互い同じ志で活動していることが確認できました。
10月6日、私の友人の歌手の石川さゆりさんと二人で「絆・トーク、被災地に届けた津軽海峡・冬景色」を高槻現代劇場で開催しました。さゆりさんは避難所や病院や仮設住宅を回ってコツコツと歌のボランティアを続けています。昨年は一緒に被災地にも入りました。そんな活動の報告会です。
「同時代を生きる一人の人間として、小さな声を大事にしたい」とさゆりさん。これからも女二人で力を合わせて支援活動を続けていきたいと思います。
被災地では、「大阪はどうなっているのですか?」とたくさん質問を受けました。みなさん「維新旋風」が不思議でならないとおっしゃいます。「大阪都構想だ、道州制だ」とか、橋下市長と国会議員団の主導権争いだとか…、被災地の市長やボランティア、そして被災者の方々から見たら、「浮世離れ」しているように見えるようなのです。
私は、地にしっかり足をつけ、できることを一つずつ丁寧に仕事をしていかなければ、と被災地であらためて心に誓いました。