本日、民主党に入党届を提出しました。
私は菅政権では、内閣総理大臣補佐官として東日本大震災の復旧・復興に努めてきました。今後は民主党に入党し、引き続き「被災地支援」と「日本再生」に向けて力を尽くしたいと思います。
明日で、震災からちょうど半年がたちます。
私は、被災地支援のボランティア担当首相補佐官として、今までのボランティア・ネットワークをフルに活かしあらん限りの力を振り絞って、今日まで働いてきました。
現在では個人で72万人、団体も入れれば100万人近くの方々がボランティア活動に参加しました。政府と自治体とNPOの連携も各地で実現しました。過酷な現状と格闘すると同時に、この助けあいの絆に希望を見出す日々でもありました。
被災者に寄り添えば寄り添うほど、要望や課題をたくさん頂くことになりました。そして努力するとお約束してきました。私はいまそんな宿題を両手いっぱいに抱えています。役職を離れた今も被災地の人たちの暮らしを半歩でも前に進めたい。いや、進める責任が私にはある、と認識しています。
「脱・原発依存」と菅首相が発言するまでの道のりも平坦ではありませんでした。私は一年生議員の時から科学技術委員会で原発事故の危険性について質問をしてきました。今回はエネルギー政策を転換するためにも首相官邸の中で力を尽くしました。最も危険といわれた浜岡原発を停めたことは、自民党政権では絶対できなかったと思います。「この流れを止めてはならぬ」と今まで以上に強くそう思っています。
円高・デフレ・財政破綻寸前と、大震災前から日本は危機的な状況でした。
民主党・社民党・国民新党の連立政権の国土交通副大臣としてJAL再生や観光政策などに取り組みました。無所属議員に転じた後も、NPO法改正を超党派で実現することができました。
そこに大震災が起こりました。東北地方の人たちが塗炭の苦しみを強いられているだけではなく、放射能汚染、エネルギー問題、経済危機など、未曾有の危機に直面していています。近畿でも災害が起こり、多くの方々が犠牲になっています。そんな状況の中、自分はどこで何をするのがよいのか考え続けてきました。
日本はまだ「非常事態の真っ只中」です。
「いつか」ではなく「いま」、批判よりも、自分に何ができるかをつなぎ合わせて、この危機を乗り切る必要があると痛感しました。
私は民主党に入って政権を支え、被災地からの宿題を具体的に解決し、「日本再生」のために働いていきたいと思うに至りました。
これからの数年が日本にとっての正念場です。
野田新首相が誕生しました。50代の、私と同じ世代の総理大臣です。
大阪10区、高槻・島本のみなさまをはじめ、「志」を同じくする方々とともに歩み、政権交代の意義をこれ以上後退させないためにも、力を合わせていきたいと思います。
2011年9月10日
衆議院議員 辻元清美