つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

活動報告・国会質問・質問主意書

「立場よりもひとりの人間として何をなすべきか」━BS11「INsideOUTより

2011.4.13

4月4日(月)22:00~23:00、BS11「INsideOUT」『東日本大震災 復興支援のキーパーソンに聞く』(コメンテーター:二木啓孝さん<BS11解説委員>、松田喬和さん<毎日新聞論説委員>)に出演しました。
その内容をまとめたものを掲載します。
――補佐官に指名されたことについて、どう感じたか
東日本大震災の日から、できることはなんでもしようと思っていたので、迷いなくお受けしました。
――連携室や辻元補佐官の活動があまり聞こえてこない。また、政府と、自由意思で活動するボランティアとが、どのように連携するのか
阪神淡路大震災のときに、ボランティアが活動する上で、たとえば医療関係の方のお手伝いをしていても規制があったり、自由に動きたいのに証明書がないために活動できなかったりなど、さまざまな問題が出ました。
3月16日に立ち上げられた「震災ボランティア連携室」では、現地の活動で困ったり、規制によって活動しにくいところなどの情報を集約し、各省庁に働きかけています。
ボランティア活動は、いちばん被災者に近いところに行く活動が多いのです。そこから出てきた情報を、政府の施策に反映していく。そうした政府とボランティアの「潤滑油」になるのが私の役割です。
阪神淡路大震災以降、地方自治体では、市町村に社会福祉協議会を中心としたボランティアセンターを置いています。このボランティアセンターが災害時には災害ボランティアセンターになり、社会福祉協議会と一緒にボランティアの受け入れ窓口になるという体制ができたのです。
さらに進んで、ボランティアコーディネーターと呼ばれる人たち、特に災害ボランティアコーディネーターが、自分たちで勉強をしたりネットワークを作ったりという動きが全国で広がってきました。
現在、岩手で16、宮城19、福島27の災害ボランティアセンターが立ち上がっています。
ただ今回は、被害があまりに広域で複合的であることや、地震によって港や関東の製油所までもが被災し、燃料不足が引き起こってしまったことで、食料を運ぶのもむずかしい状態になりました。
食料やガソリンはもちろん被災されたみなさんに第一に使っていただかなくてはいけません。そのため、最初の10日間ぐらいはNPOやNGOなどが現地に入ることが非常に難しかったのです。
今は、自己完結で動ける団体を中心に次々に現地入りしています。たとえば看護師の団体のみなさんは、災害時の訓練を受けた看護師1,000名をローテーションで被災地に送り続けています。また、独自の流通を持っている生協や、労働組合の連合などは、3月末からやはりローテーションで3カ月でのべ25,000名が現地入りします。他にも、途上国の援助などをしてきたNGOなども活動しています。
そして現在は、各県でばらつきはありますが、社会福祉協議会による窓口が立ち上がり、個人ボランティアの受け入れ体制も整えられてきたという段階です。
ボランティアというのは基本的に自主独立なものですが、今、被災地があまりにも広範囲に渡っており、行政だけでは十分に避難所がカバーしきれていません。市役所が流されてしまったところもありますし、職員のみなさんも被災者です。そこで、行政とボランティアのみなさんとがどう連携をとっていくかが、今まで以上に重要になってきます。
たとえば宮城では、NPO・NGOと県や自衛隊、国などが一緒になって、どう連携するかという話し合いをおこなっています。これも今までになかったことです。
もうひとつ立ち上がっているのはソーシャルメディアのボランティアです。
IT関係のボランティアグループができ、「助けあいジャパン」(http://www.tasukeaijapan.jp/)というサイトが立ち上がりました。
被災地域ではインターネットが見られる状況ではありませんが、ボランティアで現地に入っている人は、ツイッターなどで情報を書き込むことができる。できるだけそういう情報を集め、生活支援のために政府が手を打てるようにがんばっています。
また、現地からの声を受け、被災者に向けた政府からの情報やメッセージを毎日壁新聞で張り出すという取り組みも始めました。
他にも、やはり炊き出しの状況がとても気がかりです。
人はあたたかいものを食べなければ弱ってしまう。ところがこれだけ広域に渡ると、炊き出しにもまだ限界があります。
そこでこれから先に考えなければならないのは、いわば避難所の中での自治です。ボランティアや自衛隊による炊き出しから、避難所自体で作業をまわしていけるようになる必要があります。もちろん、高齢者が多く限界はあるのですが。
しかし避難所の中には、聞いてみると必ず、飲食業をやっていた人などがいるのです。ただ、現地でまわしていくためには物資が必要です。そういった先まで見通しながら、今の活動にどう支援するかが大切です。
――辻元補佐官は、被災者生活支援特別本部にも入っているが、そこではどのようなことをしているか
毎日、総合的な「生活支援」について協議しています。燃料、食料、水などから、災害廃棄物(みなさんのお住まいであったものなので、がれきとは呼びたくありません)の問題、子どもの教育をどう再開させていくか、金融関係の調整、医療問題、要介護の高齢者をどのように搬送して二次避難していただくか、ご遺体の安置の問題などなど、生活のあらゆることをここで問題提起して解決していきます。
国、都道府県、市町村、という行政形態の中では、どうしても「それは県の問題だ」「市の問題だ」と、問題の処理に時間がかかったり、途中で止まってしまったりすることもあります。でも官僚組織ということで一挙にできることもあります。内閣官房直結で「ボランティア活動と連携をしよう」という姿勢ができたこと自体、私は世の中が少し変わったのではないかと思っています。もちろん、ボランティアは自主独立で政府と対等の関係であるという原則を大切にしなければならないのは言うまでもありません。
――現在は首相補佐官、国会議員という立場で、政治に入る前はボランティアという立場を経験してきた身として、国会議員の中にボランティアという認識は浸透していると思うか
広がってきたと思います。私が初当選したのは阪神淡路大震災の翌年でしたが、当選後すぐにNPO法を作りたいと言ったときはあまり相手にされませんでした。反体制だとか反政府だろうと言われるわけです。お互いに社会を構成する対等なパートナーなのだといってもあまり聞いていただけなかった。
そんな中、自民党の加藤紘一元幹事長や菅総理は熱心で、一緒に取り組んでくださいました。今もNPO法の改正やボランティアの問題を一生懸命取り組んでくださっています。
そのときから比べると、今は各党とも、ボランティアは大事だという方が増えてきましたし、霞ヶ関のみなさんにもその認識が広がっています。
政府も、国会議員も、霞ヶ関の人間も、立場よりもひとりの人間として何をなすべきかという気持ちで取り組んでいかなければ。