つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

活動報告・国会質問・質問主意書

井上ひさしさんへ

2010.4.12

高槻・島本日記

作家の井上ひさしさんがお亡くなりになった。なぜいま、と悔しくてならない。
井上さんとの出会いは20数年前。さる集会でごいっしょした後、JR御茶ノ水駅の切符売り場でバッタリ出会った。ピースボートの活動をしていることをご存知で、「大変でしょう」とおっしゃい、JRのオレンジカードを1万円分、その場で買ってプレゼントしてくださった。
そこからおつきあいが始まり、選挙のたびに推薦人になっていただいた。「政治家は応援しないんだよ」と言いながら、独特の丸っこい文字で推薦文をくださるので、恐縮しながらもその「字」に会うのを楽しみにしていた。
辞職中も変わらぬ応援をしてくださり、2004年の参議院選挙では、私が立候補することに周囲からも反対が多い中、「がんばってやりなさい」と励ましてくださった。当時は小泉政権、「憲法が心配です」と自ら応援に来てくださった。大阪の強い日差しのなか、「生まれて初めて、選挙の応援演説をします」と千里中央でビールケースに立って話してくださった。2005年の衆議院選挙でも、心配して暖かいメッセージをくださった。個人的にも相談に乗っていただくことが多々あった。そして前回の2009年衆議院選挙、井上さんにやはり推薦をいただき、小選挙区での当選を果たすことができた。
小説や芝居だけでなく、平和や食、環境問題など多くの分野で世の中を力強く牽引された方だった。「遅筆堂」とご自分のことを名乗られていたが、それは仕事への妥協を許さない姿勢がもたらしたものだ。井上さんの決断は深く、的確で、早かった。
終戦によって自分をとりまく価値観が180度変わった強烈な体験をされたことからか、時代の空気に対して鋭敏な感性をもっていらした。すさまじい激務のなかでも、井上さんの言葉には弱きもの、小さきものへの愛があふれていた。
もうあの「字」に会えないことは胸が痛むが、井上さんの数々の言葉はいまでも私の中に刻み込まれている。
「今度のお芝居こそ行きます」と約束していたのに、果たせなかったことが心残りでならない。だからもう一つの、井上さんとの一番大事な約束――憲法9条を変えさせない――は守り抜く。だから少し、筆をおろしてお休みください。井上さん。
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2004年7月3日、千里中央駅で。