「つじもと清美って名前は聞いたことあるけど、実際何してる人なん?」
全国行脚をしていると、私の名前を知ってもらっていても、何に取り組んできたかが伝わっていないことに気付かされました。
みなさんから聞いた声を、私がスピーカーになって国会に持っていくのが私の役割だと考え、議員人生を歩んできました。だから、わざわざ「私がこれをやりました」と伝えるのは、違う気がしてきました。でも、私に対するデマがネットに溢れることもあって、これまでの実績をきちんと知っていただいた上で応援していただきたい。そう思って、今回記事にまとめることにしました。ぜひ、読んでいってください。
良いことは超党派でまとめ、悪いことには立ち向かう。これが、私のモットーです。
みなさんは、私に対してどんなイメージをもっていますか?「ソーリ!ソーリ!ソーリ!」と国会で迫る姿でしょうか。うどん屋の娘で、趣味が全国各地のうどんの食べ歩きって知ってる人はほとんどいらっしゃらないと思います。
実際、「つじもとは反対ばかりしてる」とか「いっつも怒ってる」と言われることも少なくない。
私の国会での質疑がテレビで放映される時は、だいたい与野党で激しい批判の応酬が行われている場面が取り上げられていたんです。賛成しているところを映しても仕方ないから。だから、いつも反対してるうるさいやつみたいに思われてしまっているんだと思います。
でも実際は、野党第一党初の女性の、国会運営の責任者である国対委員長を務めた2年間の中で、202本の法律を審議して、うち162本、8割は賛成で、成立させました。
(*写真は在職中に撮影したものです)
国対委員長時代、議員立法を70本提出しました。
自民・公明・維新はカジノを進めようとしています。私は、なんとか歯止めをかけたい。むしろギャンブル依存症の対策が必要だと考え、法案を提出しました。他にも、介護士さん・保育士さんの待遇改善、自然エネルギーの促進に関する法案も提出しました。
しかし日本では、野党の法案ほとんど審議されません。ヨーロッパでは、与野党両方の法案を審議する日を決めています。私たちの対案もきっちり審議してほしい。そんな国会改革も進めたいと思います。良いことは超党派でまとめる、悪いことには立ち向かう。これが、私のモットーです。
大阪、そして日本の経済を押し上げました
私はリーマンショックの直後に、国土交通副大臣になりました。航空政策、海運、鉄道やバスなどを担当しました。当時は、JALが潰れそうになっていて、リーマンショックの後、JALを潰してしまったら日本経済全域に大きな被害が出ると、JALの再生に取り組みました。そしてなんとか黒字にこぎつけることができたんです。
空港の再生にも取り組みました。1つは関空。大赤字だった関空と伊丹空港を経営統合して、黒字化に導きました。2つめは、羽田空港のハブ空港化です。当時は、羽田に国際線を入れることに大きな抵抗もありましたが、結果的に日本全体の競争力アップに繋がったと思います。
そして、沖縄振興。那覇空港に国際貨物を誘致し、アジアの国際貨物のハブにいたしました。ビザの要件緩和で観光客を誘致することにも、最初に踏み切りました。この方針は安倍政権も引き継いでいます。
官民連携で、日本の鉄道をイギリスに売り込むとか、大阪や日本の経済を成長させるために様々な取り組みを行い、これらは成功しました。しかし2020年から始まったコロナ禍で苦しい状況に陥ったという切実な声が本当にたくさん届いています。ビヨンドコロナに向けて、今後も、鉄道や航空助けてまいります。
野党がリードしてコロナ対策
野党の役割は批判を通して、より良い政策や法律をつくっていくこと。野党がリードして行ってきたコロナ対策をお伝えします。
1つ目に、コロナ禍の看護師現場の負担軽減です。看護師の方から、点滴などの処置といった本来の業務以外に、トイレやゴミ出しなど、掃除まで担っていて負担が大きすぎるという声を頂きました。すぐ官邸とも掛け合い、予算委員会でもこの問題を取り上げたことで、看護師現場での負担軽減が大きく進みました。
2つ目に、ワクチンタクシーバスの提案と実現。みなさんの中にも、ワクチン接種に行くときにこの制度を利用した方もおられるのではないでしょうか。高齢の方がワクチンを打ちたくても接種会場に行くのが大変、そしてコロナ禍でバスやタクシー会社も仕事がなくて大変という声を聞き、この案を提案しました。結果的に、全体の半分以上である700以上の自治体に広がりました(*2021年10月の議員在職中の数字です)。
そして、事業者の家賃補助、子育て世帯や1人親世帯への支援、困窮学生への給付金、休業の給付金、非正規労働者への支援などを実現してきました。
与党はコロナ禍で、病床の削減、病院の統廃合という政策を進めていました。私の地元である高槻赤十字病院もその一つなんです。公的また公立病院や保健所を削減していくのではなく、支援をして、いざというときのために充実させていくことこそが必要だと思います。
女性初の国対委員長 子どもを守り女性の活躍を支えてきました
史上初、女性の国対委員長。そして史上初、女性の衆議院予算委員会筆頭理事をつとめました。衆議院では約1割しか女性議員がおりません。圧倒的に男の世界。特に、国対委員長は与党である自民党と折衝して、国会運営のあらゆることを決める役割で「男の世界」と言われてきました。
私が国対委員長になってからは、開かれた国対にすることに取り組みました。例えば、国対のTwitterアカウントを作って情報公開をしたり、各党で協議を重ねて物事を決めていくルールを作り運営をしてきました。ハーゲンダッツ片手に自民党の国対委員長室に居座り、夜に料亭などで話が進むいわゆる「密室政治」にNOを突きつけました。
自民党とつじもと清美は仲悪いと思っておられる方もいるかも知れないですが、私のパーティーに自民党議員がくることもよくありましたし、超党派で調整して進めること、実は私結構好きなんです。
自民党の野田聖子さんらと一緒に、超党派の女性で、「政治分野における男女共同参画基本法」を、男女同数の議会を目指すという目的のもとに、作りました。「男女共同参画社会基本法」や「DV防止法」、これも超党派の女性で作っていきました。子供を守るため「児童買春・ポルノ禁止法」や「児童虐待防止法の改正」もそうです。
そして、国会に戻って必ず実現したいのは、選択的夫婦別姓の実現とLGBTQ差別禁止法の制定。子供を守り、女性を支えるのが、つじもと清美です。
災害・危機に強いリーダーです
私の地元、高槻市と島本町には淀川が流れています。この堤防の強化に、10年取り組んできました。ゲリラ豪雨など気候変動の影響で全国各地、洪水などで大きな被害が出ています。命を守るために、全国の堤防の強化、さらに進めていきます。
台風で被害にあった地域である高槻や島本の北部の森林の再生にも向き合ってきました。そもそも私は、阪神淡路大震災のボランティアリーダーをやった経験が、政治活動姿勢の基本のひとつにあります。命を救いたい、災害から子供を守りたい。
その後、「被災者生活再建支援法」を作って、被災者の方に現金給付をできるようにしたり、東日本大震災では、100万人のボランティアの皆さんと自衛隊の皆さんと一緒に、総理補佐官として被災者支援の陣頭指揮を執ってきました。
高槻が震源地の大阪北部地震のときも、ボランティアの皆さんがたくさん駆けつけてくれて、一緒に支援をいたしました。私自身、専門的な知識を付けるために、防災士の資格も取っています。
私は20代の頃、NGO組織である「ピースボート」という世界を回る船に乗っていました。その中で、さまざまな危機に直面しました。例えば、海の上でベトナム難民を救助したり、湾岸戦争のときには、スカッドミサイルが飛んで来るのではないかと感じるような海域も、船で突っ切ってスエズ運河まで行ったりしたこともありました。
危機対応に強い政治家になりたい、そんな思いで活動を続けています。
暮らしを守りました
私の地元、高槻駅の歩行者デッキに長い屋根をつけたんです。高槻駅は、車いすを利用する方たちのスロープが整備されています。この屋根は、駅周辺施設まで雨に濡れずに行ける幅に合わせて作りました。これによって、バリアフリーにもなり、高齢者やさまざまな人が雨に濡れずに駅まで行ける。中心市街地活性化法という法律を私たちが作って、国の補助も受けて、地方自治体がバリアフリーを進められるようにして実現しました。その他にも、ホームから視覚障がい者が転落するという事故を防ぐために、ホームに柵を設置することも推進しています。
「交通政策基本法」は、バスやタクシーや鉄道、地方の離島航路を守っていくために作った法です。これによって、バスがないためにお年寄りが病院に行けない、子どもたちが通学できない、そんな地域を作らないためにできた基本法なのです。これからも、公共交通をしっかり守っていきたい。
さらに、サービス付き高齢者向け住宅、賃貸で介護を付けることができる制度を新設しました。建設が進んでおりまして、多くの高齢者にご利用いただいております。
社会を変える法律を超党派でたくさんつくりました
私の25年間の議員人生を振り返って、2つの法律がとりわけ印象に残っています。
1つ目は、議員なりたてほやほやの1年生のときに、頑張って超党派で作った「NPO法」。子育てや介護、まちづくりや災害対応など、全国5万団体以上のNPO法人が誕生し、私の地元でも、100団体以上が活動をしています。フードバンクや子ども食堂、塾に行けない子どもたちの学習支援の現場にも足を運びました。全国行脚でも全国で活動するNPOのかたにお会いし、本当に政治家やっててよかったなあと思いました。
2つ目に、「被災者生活再建支援法」です。これは阪神淡路大震災の被災者の皆さんと一緒につくりました。家が潰れた、流された。そんなときに国が現金で直接支援をする法律です。当初は、財務省の抵抗もありましたが、その後、東日本大震災、また高槻が震源地だった大阪北部地震の被災者にも、この法律でしっかりと現金給付の支援をすることができました。
この2つの法律。命や暮らしを守るために、ほんまに作ってよかったと思ってます。NPO法は自民党の中谷元元防衛大臣と私で、その後議員連盟共同代表として、一緒に活動をして参りました。、国民の知る権利を守る「情報公開法」や環境アセスメント法。そして気候変動対策の法律にも力を尽くしてまいりました。
もう一度、社会を変える法律を、議員立法で与野党を超えて、つくっていきたいと思ってます。
暴走する政権とたたかいました
よく「野党は森友問題や桜を見る会ばっかり追及しているじゃないか」という意見も聞きました。未だに言われます。でもこれ、実は政治の根幹に関わる問題なんです。なぜか。国有地をタダ同然で払い下げられたとすれば、それは権力者による政治の私物化。さらに、官僚が自ら命を断ちました。政治の場できっちりと真相を明らかにしなければなりません。公文書も廃棄・改ざんされました。許されることではありません。
桜を見る会もそうでした。当時の総理大臣が118回も国会で虚偽答弁をしたと言われています。私は前夜祭の決定的な証拠となるホテルからの資料を突きつけて、安倍総理に質問しました。これがきっかけになって、検察の捜査に繋がっていったとも言われてるんです。そして、安保法制。憲法違反だと言われるような法案への強行採決が行われていきました。
そして長い議員生活でどうしても忘れられないのは、安倍総理時代に何回も何回も国会で野次られたことです。権力者に野次られ、さらにネットでデマを流されたこともありました。
でもやっぱり、へこたれてはいられない。私たちは時の権力者に対しても、三権分立を基本に、立法府として行政府をしっかりチェックしていきます。権力を監視するという仕事は、民主主義を守っていく上でとても大事な役割だと思っています。公文書が二度と廃棄されないように、公文書管理庁をきっちり作って公文書の管理を徹底していきたいと考えています。
駆け足になりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。私の議員人生、何に取り組んできたのか、少しは伝わりましたでしょうか。全国各地のみんなの声を聞いて、暮らしに合わせた政治を行うこと。これが私の大切にしていきたいことです。
全国行脚編はこちら
(*写真は在職中に撮影したものです)