辻元清美は1月31日、大阪・高槻市内にて「辻元清美報告会」を行ったのち、党に今年の夏に行われる参議院議員選挙の全国比例区への公認申請をいたしました。報告会の発言全文を掲載しますのでぜひご一読ください。
報告会の様子はこちらからご覧いただけます。
報告会での発言全文
みなさんこんにちは。今日は、私の再スタートのための報告会です。全国のみなさまにもリモートでご参加いただいています。ここ、私の地元の高槻・島本、その高槻市の高槻駅の横にある会場からみなさんに新しい決意を聞いていただきたい。そんな思いで、今日は報告会をさせていただきます。
まず初めに、初当選から今年は26年目になりますが、地元高槻島本のみなさん、そして大阪のみなさん、そして、全国のみなさんのご支援に心から感謝を申し上げます。
私は、どちらかというと山あり谷ありの議員活動でした。途中で議員辞職も経験しましたが、それでも地元のみなさん、全国のみなさんの支えで国会に戻していただいて、そして今日ここに立たせていただいているのは、たくさんのご支援や叱咤激励のおかげだと思っています。今日はそんなみなさまに、私の新たなスタートの決意を聞いていただきたいと思います。
私は、この夏の参議院比例代表選挙に立候補する決意を固めました。そして、今日この報告会で報告をさせていただいた後に、党本部に公認申請の届けを提出しにまいります。
この夏、全国のみなさんの声を国政に届けたい。全国のみなさん、コロナ、そしてコロナ感染以前から格差が広がり、しんどい人も増えてきている。そんな全国のみなさんの声を国政に届けていく役割をもう一度担わせて欲しい。
そんな思いで、決意をしました。今日から新たなスタートを切らせてほしいと思っています。
随分と悩みました。この間、高槻・島本、そして各地を訪れていろんな人と対話しました。そんな中で、4つの理由から立候補を決めました。
まず1つ目なんですけれども、永田町を離れて、実感したこと。それは、「国会と人々の暮らしがあまりにもかけ離れてるやんか」ということです。私も国会で一生懸命働いてきたつもりだったんですけれども、本当に困っている人のところに、その声が届いてない。政策が行き渡っていない。永田町を離れて、今まで以上に痛感をしました。だから、やっぱり私、「黙ってられへんねん」という気持ちになったんです。
日本全国の小さな声とか、こんなこと言っても国会に届かないと思っている声を、私がしっかり受け止めて、そしてそれをもう一度、国会に大きな声で届けていく。そんな役割をもう一度させてもらえないかと思うようになりました。
2つ目は、この夏の参議院選挙は日本の分かれ道になるのではないかと危機感を持っているんです。自民公明維新が多数になったら、小さな声や弱い人たち、異論を切り捨てていくような政治になるんじゃないかという危機感なんです。この前の選挙でも大阪は維新が圧勝しましたが、一色に染まっていいのか。この日本の政治は自民公明によって一方の方向に偏った日本になってしまいかねないという危機感があります。ですから、やっぱりこの参議院選挙が日本の分かれ道。それを阻止するために戦っていきたい。そう思っています。
3つ目は、強い野党を作りたいと思ったんです。私たちの仲間は今苦戦しています。その仲間と一緒に、政府与党が暴走しそうな時に、歯止めをかけていく野党が必要。その野党もっともっと強くしていきたい。そして、いわゆるリベラルを大きくしていきたい。そんな思いなんです。
そして4つ目は、私は、女性議員を増やそうという活動をしてきました。しかしこの衆議院選挙で10%を切ってしまうという事態になりました。今まで「立候補しようよ」「一緒にやろうよ」と多くの女性に声をかけてきました。だからこそ、一刻も早い選挙で、自ら先頭に立ち、女性議員を増やし、多くの人に声をかけ、共に闘うその仲間を作りたいし、女性議員を参議院選挙で増やしたいと思っています。
この4つが主な理由なんです。一つひとつ、みなさんに詳しく思いを聞いてほしいと思います。
まず1つ目。「黙ってられへん」と思った理由。やっぱり、私自身もこれまで国会議員ということで、今まで国会と地元の行き来をして、国会対策もやってきたんで、国会の中で、自分の驕りもあったと思います。しかし、有権者の厳しい審判を受けて、「このままの政治姿勢ではあかんで。原点に戻れ」「多くの人の声をしっかり受け止めろ」と言われたように思います。
その後、多くの人の声を聞きました。ありがたいことに、連日メールやFAXや電話やお手紙をもらいました。街の中でも呼び止められて声をかけられ話を聞いてほしいと言われました。せっかくなので紹介させてください。私は自分が落選しているのにこんなにたくさんの人に声をいただくこと、本当にありがたいと思っています。
まず、コロナ対応に対してです。たくさん意見をもらっています。
まず、埼玉のお医者さんから。「検査もせずにどうやって診療するというのか。この2年、政治は何をしてきたのか」という怒りのメールが届きました。
子育て中の京都の方からの直接の電話。「いきなり保育園が休園、仕事に行けない、親子で路頭に迷いそう。絶望しそう。何回こんな目に合わなければいけないのだろう」と。私はもちろん自分の責任を感じました。しかし、今の国会を見ていると、緊急事態を憲法に入れればコロナ対策がうまくいくという現実離れした議論だけが相当強硬に進められようとしています。
そして、沖縄。昨年沖縄に行ってきたんです。沖縄では米軍基地からコロナ感染が広がるのではないかと1年前からみんなに恐れられてきました。でも政府の対応はすごく遅い。
私は沖縄の方と一緒に、日米地位協定の改定にも取り組んできて、改訂案もすでに作ってあるんですけれども、国会の議論を見ていると、日米地位協定の改定は一切しないというような態度続いています。
PCR検査ができない、キットが足りない、十分補償がいかない。これは、憲法に緊急事態がないからですか?違うと思うんです。政府や行政がきちんと今まで責任をきちんと果たしてこなかった、現場を見てこなかった。その結果がこのコロナ感染爆発につながっていると思います。
またこの間、大阪・西成で介護ボランティアをしてきました。デイケアです。そこでは、生活保護の支援を受けて介護を受けている人がたくさんいます。その中である男性が「もうわしは死ぬのを待つだけ」とポツンともらしました。
私は大阪で活動してきて、自分も歳をとって、自分らしく生きられる社会を目指してきたのに、政策が行き渡っていないと痛感すると同時に、それどころか大阪はカジノを作ろうとかずっと言っている。
私たちはずっと大阪はカジノより介護だと言っています。しかしこのカジノも強行されようとしています。なんとか止めたい。政治の力が必要だと思います。
そして、各地も回ったんですけれども、実は私は交通政策に力を入れてきました。その中で、地方を回りますと、駅がどんどん無人駅になっています。コロナで観光客が減っただけではなく、人口も減っている地域は、バスや鉄道やタクシーが維持が難しくなっています。このまま放っておいたら、地方は、高齢者やしんどい人の移動の手段もなくなっていくという現実も目の当たりにしました。
各地を伺ったり高齢者施設で働いている間に、そんなことを実感してきたんです。
そんなことをしている間に、私の背中を強く押してくれたのが一通の手紙でした。神戸の方でした。一部だけご紹介します。「初めまして。突然の手紙、申し訳ないです。すみません。私は39歳の女子です。」と。この方は児童養護施設で過ごされてきた方で、「私は親や家族の存在を知らなくて、生まれた頃からずっと児童養護施設で育ってきて、随分辛い思いもしてきました」と綴られていました。
「情けないですが、いまだに涙をすることがあります。家族がいないだけの辛さ、苦しさ、ずっと続きます。知人や恋人からDVを受け、それがトラウマにもなっています」と。そういう、辛い思いを、私にお手紙で伝えてくださったんです。
そして、最後に「辻元さんは国民の人たちに寄り添ってくれる人だと思っているので、こういう声を国会に届けてほしい。国民の人たち誰もが笑顔になってくれたらいいなと思います。辻元さんも体調には気をつけて、辻元さんらしくいつも笑顔で、元気な辻元さんでいてください。応援してますからね。辻元さんがんばれ」と、ほんまにしんどい思いをしている女性からいただいたんです。
私は、このお手紙をそれ以来大事に毎日持ち歩いているんです。私の背中を押してくれました。道歩いていてもいろんな人がいろんな思いを聞かせてくれる。お手紙をくれる。私はありがたいと思うと同時に、自分にできる役割ってなんだろうと考えました。
そして、こう思ったんですね。私は今まで、きっとそういう小さな声とか、こんなこと言っても誰も聞いてくれないんじゃないかとか、政治や政府は何をやっているんだという不安や怒り、声に出せないけどあるみんなの思いや小さな声を私が受け止めて、国会に行って、国会の場で私が大きなスピーカーになって、大きな声で問題提起をして、解決をしよう、と。
そういう役割を私が今まで国会で果たしてきたから、多くの人が声をかけてくれるのかもしれないと思えるようになりました。
今、コロナで今世界中が変わってきていると思います。度重なる災害もそうです。東日本大震災、その前の阪神淡路大震災、私は、ボランティア、自治体、政府、自衛隊の方々と一緒になって支援の最前線に立ってきました。そんな経験から、この気候変動の問題も待ったなしだと思います。
だから、3年・4年待っている間に、コロナで本当にしんどい人たち、政治に声が本当に届いていくのか、と思っている人、そして、災害が起こったり、いろんなことがこれからもあると思います。そんな中で、国会に送ってもらい、私にもう一度、小さな声を届けたり、現場の人と一緒に働いていく役割をさせてほしいと思うようになりました。
自分でも色々思いました。一度落ちているのに厚かましいのではとも思いました。しかし、今の国会見ていても、今しんどい人を見ていても、やっぱり黙ってられへん、と思いました。ですから、決断したんです。
そして、2つ目ですが、日本の夏の参議院選挙が分かれ道だというくらい危機感を持っていると言いました。今の世の中、多数をとればなんでもやっていいと、そういう世界になっていると思います。社会が対立や分断されていく。
あえて申し上げますが、自公政権の維新は補完勢力に見えるという人たちたくさんいます。そうすると、その塊に対してもうひとつ対立軸をしっかりと作った政治を、きちんと参議院選挙で示して行かないと、日本が右の方にガーッと傾いていくんじゃないかという危機感があるんです。
ですから、この参議院選挙はこれからの日本がどういう方向に進んでいくのかという天下分け目です。ですから、私も、その日本の分かれ道を、異論や少数の声が切り捨てられるような政治、日本にならないように、一緒に夏に闘いたいと思ったんです。
そして3つ目は、野党を強くしたいと思うんです。私も政権交代を目指したいと思います。しかし、今いきなり言っても難しいということもよくわかっています。でもね、やっぱり強い野党がないと、本当に、先ほども申し上げた天下分け目で、傾くと同時に、問題解決に至らないと思うんです。
例えば、ワクチンの3回目は進んでおりません。国会はやっと開いたけど、本当だったらこの年末年始は省庁を呼んでワクチンどうするんだと、野党が激しく厳しく政府の施策を点検して行かないと人の命が救えません。
これまで歴代12人の総理大臣とも論争してきました。それは多くの人たちの現状を伝えたいだけじゃなく、政府が出してくる施策や予算の中身をきっちり点検する人がいないと、問題が解決されないんですよ。今ようやく国会が開かれてワクチンや検査キットの野党の厳しい追及を受けて政府はこうしますと言わざるを得なくなっています。
特にこのコロナなど危機の時代、強い野党が多くの人たちの命を救うことにつながると思うんです。私の仲間たちが苦戦しています。本当に今みんなしんどい政治状況だと思うんです。だから一刻も早く、多くの人たちの命や暮らしを守り救うために、野党を強くして力を合わせていきたいと思います。
先ほど申し上げたように、野党にもいろいろあるけれど、しっかりした対立軸を示して、今のように政府にちょこちょこいう、迎合していくだけではなく、しっかりとチェックしていく。そういうことが必要だと思います。
4つ目は、女性議員を増やしたい。私は多くの女性に「選挙に立候補しませんか」と声をかけてきました。「政治の現場はしんどいけどへこたれないで一緒にやろうよ」と言ってきました。昨日もリモートで200人以上の女性議員になりたいという人とのセミナーがありまして、いろんな経験を話しました。そんな私が一回ダメだったくらいで諦めていたら話になりません。チャレンジし続ける。だからみんな、一緒にやろうよ、と。
確かに、よく言われるように日本では男性議員より女性議員の方が選挙は厳しいということも指摘されています。でも、あかんかってもまたやるんや。だから、一緒に、たくさんの女性が立ち上がって、この参議院選挙で一緒に立候補し、この参議院選挙のあと、日本は衆議院10%切ったけど、女性議員がどんどん増えたねというような議会を、自らも戦うことによって作り出したいと思うんです。
私も元気よく今お話しさせていただいていますが、落ち込みもしたし、今もいろんな思いが胸にあります。しかし、先ほどから申し上げているように、今の日本、危機の時代の真っ只中で、時間がない。そして次の夏の選挙が日本の分かれ道になりかねない。そんな中で私は決断をいたしました。
私自身は、今日、事務所からここに歩いてきたんですが、高槻・島本の地元のみなさんには、本当に感謝をしております。駅に来るまでにも、多くの人が「辻元頑張りや」って声かけてくださったんですね。
政治家っていうのは、多くの人に育ててもらうものだと今日改めてまた実感したんです。多くの人が、地元の人が、「あんた、負けてもへこたれてたらあかんで」って。「あんたのモットーやんか」って。「あんた一回辞職した時も私らが救ってやったのに、またこんなんなってるけど、ここで諦めてもらったら困るで」という声をさっきもらったんです。ほんまにありがたい。
私の人生にとっても今日は大きな決断なんです。ほんまにありがたかったです。事務所はもちろん高槻・島本において、私の拠点は、大阪です。しかし一方、日本国中、傷んでいます。日本中から批判も受けます。でも「もう一度やったらどうだ」「うちの町にもきてくれ」という声もいっぱいいただきました。
だから私は、この大阪を拠点にして、大阪から全国を回りたい。全国行脚をスタートさせていただきたい。そう思っております。
これ、仲間がパネルを作ってプレゼントしてくれました。「やっぱり黙ってられへん!全国の声を国政へ」。私は、このパネルを持って、全国のみなさんの声をしっかり受け止めるために大阪からスタートさせたい。そして、全国のみなさんの御用聞きのつもりでいきたい。
私の原点はNPO活動でした。リュックサックを背負って、スニーカーで、私は国会に通ってたんです。現場に出向いて。そして、例えばNPO法は日本中でいろんな活動をしている人たちと法律を作りました。
そして、阪神淡路大震災の時も被災者のみなさんと一緒に、被災者生活再建支援法を議員立法で作りました。これは、被災で苦しんだ人の血と涙と汗と結晶なんです。男女共同参画社会法も、多くの女性たちと一緒に作ってきました。
そんなふうに、多くの人たちとつながることで、声をつなげて、力に変えて、社会を良い方向に変えていく。そんな政治を全国のみなさんと力を合わせて実現したいと思っています。
この危機を乗り切っていくためには、多くの人たちの思いをいかに政治の場で形にし、問題を解決できるか。
そのためには、多くの国民のみなさんと一緒に力を合わせて、必ずこの危機を乗り越えられる、そして未来を作っていける。私はそう信じて、この大阪から全国のみなさんの声を国政に。全国の、「もう黙ってられへん」の声を集めて、夏に向けて今日から進んでいきたいと思います。
みなさん、今日までご支援やお支え、ありがとうございます。でも、今やらないでいつやるねんという思いなんです。それほど今、日本は危機の真っ只中です。ですからどうか未来を切り拓くために、一緒に歩んでください。一緒に力を合わせれば、必ずひとつひとつ問題を解決していける、未来が切り拓けると思います。
最後までお話を聞いていただきありがとうございます。私の背中を押していただいたお手紙と、そして今日仲間からもらったパネルを引っ提げて、コロナ一段落したら、また全国行脚の行動を開始します。どうかみなさん、共に歩んでください。一緒に力を合わせてよくしていきましょう。聞いていただいてありがとうございました。