月曜の朝、発災したのは東京に出発する直前でした。
突然の激しい縦揺れが終わったあと、83歳の父と80歳の母の無事を確認。台所は食器が割れて破片が激しく散乱し、電子レンジなどの家電も放り出されていました。
私は徒歩と車で各所をまわり、市長や消防、議員団や自主防災のリーダーらと情報を交換。避難所になっているいくつかのコミュニティセンターなどまわりました。
地元の議員団やスタッフに、地域の分担を決め、被災された方々の困りごとには細かく対応していくことを確認して国会へ。党の災害対策本部の会議に向かいました。
地元の状況に後ろ髪ひかれる思いでしたが、国会も会期末で国対委員長が陣頭指揮をとらなくてはなりません。東日本大震災のときに、ある先輩議員が地元の被害をテレビで見ながら、「国会でやるべきことをやるのが自分の仕事だ」とうなりながら、国対の部屋にはりついて仕事をしていたのを思い出しました。
19日、10:00から野党の国対委員長会議で、ともに今回の地震では選挙区で被害を受けた他の党の議員さん達とも情報交換しました。会議後、衆議院議長に災害対策には与党も野党もない。力を合わせていくので、国会としても十分に取り組んでいただくよう取り計らいをお願いしたい。と要請しました。
本会議の前、代議士会で自民ほか多くの議員さん達も心配して下さり声をかけて下さいました。そして、震災のたびに問題となった全国のブロック塀の耐震化の問題について、みなさんの地元でも自治体議員と力を合わせて点検をして欲しい、とお願いしました。
夜から大阪は雨が降っています。地元の市議は、車にブルーシートと非常用の食糧を積んで回っていました。
スタッフが避難所を回るなかで、「物資の配布などが早い者勝ちになっている。情報弱者が不利益にならないように」「高齢者にはブルーシート掛けや倒壊したブロック塀の撤去はむり。高齢者世帯のブルーシートがけやがれきの撤去作業のボランティアが来てもらえるとたすかる」という声に対応しています。
避難所にはスマートフォンをお持ちでない方もいらっしゃるし、昨日は高槻市のホームページにアクセスがなかなかできなかったこともあり、やはり直接顔を合わせて話すことが大事だということ。明日も手分けして回ります。